サコさんのお話が興味深かったので、もう一冊読んでみました。
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社会や人間について深く考えるようになったのは、マリの外に出てからです。
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それまで、私はマリという国の優等生として、自尊心を持ちながら生きてきました。
もちろん、母国の歴史にも誇りを抱いていました。
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ところが、いざ外国に出てみたら、そういった尊厳がすべて崩れ落ちる経験を余儀なくされたのです。
最初のショックは、留学のためにマリを出た初日にやってきました。中国に向かうのに先立ち、フランスのパリに2~3日滞在する機会があったのですが、そこで街を歩くうちに違和感に気づきました。
現地で道路やトイレを清掃しているのは、アフリカ系の移民ばかり。若い私は、同胞たちが、わざわざパリに移住してトイレ掃除に従事しているなどとは、まったく想像していませんでした。
どうやらパリでは、アフリカ系の人たちが低賃金で苦しい生活を送っているようなのです。
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初めて自分の限界を感じ、アイデンティティが無視され、尊厳がゼロになったような気がしました。
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「自分は本当に人間なんだろうか。人間として認められているのだろうか」
たった数日の滞在でしたが、拭いきれない大きな疑問を抱いて呆然としていたのを記憶しています。
中国に渡ってからも、さまざまな偏見や誤解にも直面しました。
「君の国では、木の上で生活しているの?」
そんな質問を受けるのは日常茶飯事でした。・・・
そんな経験をして良かった、とは言いません。
ただ、「自分自身が認められるにはどうしたらいいか」を考えて行動する大きなきっかけになりました。
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本書でお伝えしたいことはたくさんあります。
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それは「メタモルフォーゼ」、日本語に訳せば「変身」「変化」です。私なりの言葉にするならば、
「核となる自分自身を保ったまま、社会に適応した自分をつくっていく」
「中身を維持したまま、外側を変化させていく」
というように表現できるものです。
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私は、日本国籍を取得した日本人ではありますが、決して日本に同化をしてきたわけではありません。
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異なる社会・文化と関わるにあたって大事なのは、「全く異なる視点を持っている自分」を維持すること、そして相手も同様だという認識です。
人は同化して流されてしまうと、その社会や文化を客観的に見られなくなり、結果的にその社会や文化に対して価値を与えられなくなります。
自分が、「自分」であり続けることが、外国へ行った時に、非常に大きな意味を持つのです。
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「メタモルフォーゼ」という考え方を重視してきた背景には、私がマリという国に生まれ育ち、日本で暮らすようになった経緯があります。
日本での暮らしで言葉や文化の壁にぶつかるたびに、私は何度となく、
「マリとはどういう国なのか」
「自分が大切にしている文化、価値観とはどういうものなのか」
といったことを自問自答する機会がありました。さらにいえば、日本に住んだおかげでマリについてより深く知ることができたわけです。