はたらく動物と、その周りにいる人々のお話。味わい深い本でした。
P73
ここはもともと、はたらく馬がたくさんいる土地だった。
木曽馬は、体が小さく、粗食に耐えて、力持ち、と三拍子揃った農耕馬。・・・でも昭和三〇年代にトラクターが導入されると、馬は姿を消していった。
よっさんとのりたけさんが馬耕の暮らしを始めたのは、地元の小学校で飼われていた木曾馬を譲り受けたのがきっかけだった。・・・
・・・
馬耕の道具は、近所の農家の蔵で眠っていたものをもらってきた。もともと馬耕が盛んだった土地だけあって、ビンゴと一緒に畑にいると、通りすがりの人がしょっちゅう声をかけてくるとか。
「デイサービスに行く途中のじいちゃんばあちゃんが『腰の入れ方が違う!』なんて身を乗り出して指導してくれるんだよ。お宅の馬のおかげでおじいちゃんが若返りましたなんて言われてな」
ビンゴの土起こしがひと段落すると、次は人間だけで稲の種籾まき作業。・・・一連の作業に没頭していると、いつもほがらかないろちゃんのご機嫌が悪くなった。
「ぱんぱん食べる!ぱんぱん食べる!」とくりかえし主張。のりたけさんが「ごはんならあるよ。ごはん食べる?」と言うのだけれど、いろちゃんはひたすら機嫌を損ねて、「ぱんぱんがいい!ぱんぱん食べたい!」と泣き出す。あぁ、そのときのりたけさんの対応がすばらしかった。
「そうかぁ、いろちゃんはパンが好きなんだねぇ」
「(泣き声)ぱんぱん食べたい!」
「でもいまパンはないのよ」
「(大きな泣き声)ぱんぱん食べたい!」
「パンがないと悲しくて泣いちゃうねぇ」
「(もっと大きな泣き声)ぱんぱんがいいの!」
「パンがなくてお母ちゃんも悲しい」
「(ひたすらギャン泣き)」
「じゃあ一緒に泣こう。パンを思って泣こう」
そう言ってのりたけさんは、かなり本気の泣き真似をした。
わたしは隣りで種籾をまきながら、しみじみと母娘の会話を味わっていた。すげえなぁ、のりたけさん。「ないものはないの」「いま仕事中なんだから」「わがまま言わないで」「いい加減にしなさい」みたいなことは一切言わない。いろちゃんの言うことをぜんぶ受け止めて、自分の感情も素直に表現する。しかも怒りではなく悲しみとして。これはイヤイヤ期の子どもへの対応としてすばらしいのではなく、人と向き合う方法としてすばらしいんだな、きっと。
P120
新宿生まれ、パリ在住二八年の趙さんからメールが届いた。
「フランスにもはたらく動物がいます」
・・・
「ニワトリです」
・・・
「仕事は生ゴミを食べること」
力が抜けた。それ、はたらくって言わないだろう!
だが趙さんによれば、いまフランスではニワトリのはたらきがひそかに注目されているという。たとえば二〇一五年、ドイツ国境に近いアルザス地方のコルマール市では四三〇羽のニワトリを四つの地区に配った。すると、生ゴミが年間八〇トン減った。フランス南西部のロ・ド・ガロンヌ県では、・・・二六二トンの生ゴミが減り、さらなるニワトリ配布が検討されている。
・・・大都会パリでも見ることができるという。・・・
・・・
はたらくニワトリが住んでいるのは、駅前の「ラ・リシクルリー」という場所だった。・・・入ってすぐのスペースはカフェになっていて、使い込まれたテーブルでおじさんが新聞を広げてコーヒーを飲んでいた。
ここは、もともと駅舎だった。
・・・
・・・「ラ・リシクルリー」とは「リサイクルする場所」という意味。・・・
「ニワトリたちを見に行きましょう」
趙さんに促されてカフェを抜けると、・・・雄鶏が一羽、雌鶏が一九羽。彼らは勤務中だった。すなわち、もりもり食べていた。
ニワトリが食べているのは、カフェの厨房から出た野菜の切れ端と、お客さんの食べ残し。・・・
・・・
・・・「ラ・リシクルリー」をつくったのは、いったいどんな人なんだろう。
・・・
趙さんに訳してもらいながら、はなしを聞く。ステファンさんは今年五〇歳。長く音楽イベントのプロデューサーをしてきたという。
・・・
音楽が好きだったから、音楽イベントを運営する仕事に就いた。「場をつくる」のが得意で・・・
そのうち、ただ楽しくて終わりというのではなく、もっと社会的に意味のある場所がつくりたい、と思うようになった。・・・
・・・
ぼくの人生の目的は、人に楽しんでもらうこと。だからこの「ラ・リシクルリー」も説教くさい場所じゃなく、楽しく過ごせることをいちばんに考えてつくった。・・・
・・・
インタビューは予定の時間を超えて続いた。・・・最後になにを尋ねればいいかちょっと迷った。そして迷ったまま言ってしまった。
「あのう……ニワトリ……はたらいてないですよね?」
「ん?」
わたしは自分が言いたいことを急いで説明した。
これまで、はたらく動物をいろいろ取材してきた。・・・彼らはみんな一生懸命はたらいていた。
それに引き換えニワトリは。ぜんぜん苦労していない。はたらいているという意識すらもっていない。ニワトリだけじゃない。鴨もミミズも微生物も。ただ自分の持ち場で生きているだけ。だけど、ちゃんとほかの生き物の役に立っている。
もっと言えば、ステファンさんだって。自分の持ち場で、すごーく自然体で生きている。それがほかの人の役に立っている。それってすごいことだ。
・・・
「そんなふうに言ってくれて、うれしいね」
・・・ステファンさんは最後に言った。
「忘れてはいけないのは、人間も動物だってことだ」