これだけで、幸せ

これだけで、幸せ 小川糸の少なく暮らす29ヵ条

 小川糸さんにとっての、幸せな生活が紹介されていて、心地いい本でした。

 

P118

 たっぷり息を吸って、ゆっくり吐く。

 ベルリンで過ごす時間は、私にとって深呼吸の「吸う」にあたるものに近いと感じます。あるいは、呼吸そのものを整えるようなもの。

 ・・・

 心地いい自由と自立の空気を吸えるベルリンでの時間は、私にとって大事な呼吸の一部になっています。

 ・・・

 思えば、ベルリンに通い始める前の私の暮らしや考え方は、「こうあらねばならない」という固定観念に縛られていたのかもしれません。

 誰からいわれたわけでもないのに、「40歳になった立派な大人はこうなっていなければならない」「仕事とはこういうもの」という執着が何となく生まれて、自分で自分を苦しめているところがありました。・・・

 そうじゃないよ。自分が心地よければ、隣の人と比べなくたっていいじゃない。

 ベルリンの暮らしの風景に触れると、そんなメッセージを受け取れて私は楽になれるのです。

 ・・・

 街ゆく人の装いも本当に多彩です。年配の方も、サングラスをかけたり、大胆な色やデザインの服をかっこよく着こなしています。素敵な帽子をかぶったマダムの後姿に引き寄せられて、思わずついていきたくなってしまったこともあるくらい。

 自分自身が心地いいと思う気持ちを第一に過ごす。それがかなうと、他人に対する接し方にもゆとりが生まれるのだと思います。

 感動したのは、レストランで見かけたある家族の風景。家族の一員として、なんとペットの犬もきちんと椅子に座ってテーブルを囲んでいたのです。公共の場でもマナーよく過ごせるようにしつけられているのでしょう。飼い主の食事中はがまんをして、家族の輪の中におとなしく溶け込んでいました。

 つまり、動物も「家族の一員」として社会に受け入れられ、尊重されているということ。飼い主も、社会のルールを守れるように、責任を持ってしつけをする。個人が自分の幸せを尊重するのと同時に、公共意識も高いレベルで大事にするからこその光景だと、憧れてやみません。「ペット同伴OK」でも制限の多い日本の生活文化に慣れていた私は、またも鮮やかに固定観念を壊されて、心地いいしびれにひたっていました。うちのゆりねもいつか……と、夢を見ています。

 いつのまにか自分の中にためてしまった「こうあるべき」とか「こう決まっているから、しかたがない」を捨てられる場所。だから、ベルリンの旅はやめられないのです。

 

P132

「携帯電話を持っていません」

 そういうと、ほとんどの方はとてもびっくりした顔をします。・・・

 ・・・

 自宅で小説を書くのがメインの生活になってからは、固定電話とメール、ファックスだけですべての連絡を済ませています。

 ・・・

 ・・・こういう生活、ほんのひと昔前は普通だったのですよね。それがいつの間にか、携帯電話があっという間に普及するとともに、私たちの生活の基本形が一変してしまったのです。無意識のうちに。

 この「無意識のうちに」というのが、私が怖いなと思う点です。

 生き方や暮らし方は、本来は自分自身で選択していくもの。時代の流れや「みんながそうだから」という理由だけで決めたくない。そう思います。

 ・・・

 情報からあえて「離れる」という決意。リアルな世界を見る楽しみを満喫したいから、これからも私は「ケータイなし」の生き方を貫くだろうと思います。

 

P142

 生活道具をつくる職人さんがそれぞれの〝持ち場〟で力を発揮されるように、本というものづくりも幾人ものプロの仕事が連携して成り立っているのです。

「任せる」「委ねる」。その力を信じると、自分だけの力では到底成しえなかった世界が開けます。

 私が集中すべき仕事は、私に与えられた役割で、かつ、私にしかできないと思えること。そう判断するようにしています。

 書き仕事でも、たまたま同じ時期に複数のオファーをいただくことがあります。そんなときは、「私ができること、やるべきことは何かな?」と考え、ほかの方のほうがきっとうまくいきそうな仕事を選択肢から外すようにしています。

 ひとつひとつの仕事に丁寧に向き合っていきたいから、「何でも安請け合いをしない」のが、きっと相手にとっても自分にとっても誠意ある行動になるはず。今の私にとって何をやり遂げることがベストで、何を人に託すべきか。じっくり考えて、仕事も調整しています。