毎日っていいな

毎日っていいな

 吉本ばななさんが、毎日新聞日曜版に連載していたエッセイがまとまった本です。

 日常を当たり前に感じられるってとてもありがたいことだなぁ・・・と読みながら思いました。

 こちらは「ご縁」というタイトルのお話で、印象に残りました。

 

P159

 二十代の後半、けっこう長い期間目白に住んでいた。

 そのとき、ほぼ毎日通っていたカフェがあった。マスターはこだわりの珈琲を淹れる人で、彼のお姉さまがとてもていねいにケーキを作っていた。

 落ち着いた内装で出窓があるすてきなお店だった。

 ひとりで、あるいは打ち合わせで、英会話をするために、恋人と、友だちと、午後に、晩御飯の後に……ありとあらゆるときに行った。

 そして珈琲を飲んだり、オレンジがふんだんに載った爽やかなケーキを食べたり、サーモンとクリームチーズのベーグルを食べたりして、幸せなひとときを過ごした。

 私は引っこして目白を出てしまい、ほどなくそのお店がなくなったことを聞いた。淋しかったけど悔いなく通ったからいいやと思っていた。

 そしてあるとき、たまたま家族と軽井沢に宿泊してタウン誌をぱらぱら見ていたら、なんとそのカフェの名前が書いてあった。私はびっくりしてすぐそこに行った。なんとそこにはあのマスターがいて、内装もなんとなく目白のお店に似ていて、ケーキはお姉さまのものではなかったけれど奥様が別のすてきなメニューをいろいろ考えていらして、何よりもマスターが全く同じ味の珈琲を淹れていたのであった。聞けば軽井沢に移住したのだという。あまりの偶然に私は嬉しくなって、マスターと懐かしい目白の思い出を語り合った。

 しばらくして仕事で軽井沢に行く機会があった。前の日に到着して宿泊し、担当の編集者さんと翌日の仕事のミーティングをした。翌日の午後ライターさんが到着するのでそれまで少し時間があると彼女は言った。

「どこか軽井沢で行きたいところはないですか?」と聞かれたので件のカフェの名前を告げたら、編集者さんはびっくりした顔で言った。

「それは私のおじさんのお店です!お誘いしていいかどうか迷っていたんです」

 なんと、すでに数年間いっしょに仕事をしていたその人はマスターの姪御さんだったのだ。

 いっしょにそのカフェに行き、お昼を食べ珈琲を飲んで、マスターと彼女とみんなで不思議なご縁について話した。

 私はそうしょっちゅう軽井沢に行くわけではなく、その編集者さんと軽井沢に行くことになったのは対談相手の方がたまたま夏でそこにいらしたからであって、ものすごく珍しいことなのだ。さらに、もしも彼女が行きたいところはないかと聞いてくれなければ、私たちはお互いにそのお店の名前も出さないまま、普通に仕事をして帰っただろう。

 あの頃毎日通ったカフェが軽井沢にあるのをたまたま見つけ、たまたま仕事が軽井沢であったことで超忙しい私たちが万障繰り合わせていっしょに軽井沢に行くことになり、私がそのカフェの名前を出し、そのカフェのマスターが彼女のおじさんであることが発覚し、いっしょにそのカフェに行く確率って、どのくらい低いのか考えただけでくらっとする。

 縁って、あまり何も考えなくても、放っておいてもつながるようになっているのかも。