おしゃべり修業

イタリア人はピッツァ一切れでも盛り上がれる ローマ発 人生を100%楽しむ生き方

 「一生懸命」しゃべるとか、会話を楽しくするとか、シンプルにいいな~と思いました。

 

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 ・・・イタリア人は本当に「一生懸命」しゃべる。どんな話題であれ、話をする時は自分が知っている限りの知識を駆使し、記憶の引き出しからエピソードをひっぱり出しては、その話題を盛り上げようとする。

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 さらに、会話を「楽しくするコツ」もある。自分の意見を言う時に、努めて「本音を軽く伝える」ということ。批判や指摘ではなく、あくまで「自分個人の考え」としてさらっと発言し、相手を攻撃するような言葉は使わない。

 私も以前、大好きな俳優が出ている映画を観に行く前に、すでにその映画を観た友だちに意見を求めたことがある。その映画は、はっきり言って駄作だったのだが、感想を尋ねた時、友だちは「つまんないよ。やめておきな」とは言わなかった。彼女はまず私に、「どうしてその映画を観たいの?」と聞いた。「俳優が大好きだから」と答えた私に、彼女は笑いながらこう言った。

「ああ、それなら心配いらないわ。大丈夫、二時間たっぷり彼の顔だけ観てれば楽しめるわよ!」

 ストーリーや映画の内容には一切ふれず、ただ「俳優の顔だけ観てればいい」という彼女のコメントで、私は、(ああ、たいしたことない映画なんだな)ということがわかった。

 楽しい会話のポイントは、外からの情報や、誰かが言っていたということではなく、「私はこういう理由で、こう思う」と自分個人の意見を論理的に伝えること。自分の意見をちゃんと持っていれば、自然と違う意見を聞くことにも興味が湧いてくる。会話がただのおしゃべりではなく議論に発展すると、その場はさらに盛り上がり、自分の中に残るものも大きくなる。

 議論の最大の目的は、相手を言い負かしたり、自分が優位に立つことではなく、「自分が知らないことを引き出すこと」にある。だからこそ、頭ごなしに決めつけたり、簡単に中断させたりせず、できるだけいろいろな人の多彩な見解や感想を聞こうと会話を長引かせるようにすることが大切。

 ローマ人とのおしゃべりだと、この後にさらに「笑いを取る」というテクニックが加わるが、これはそう簡単に習得できるものではない。

 つい先日、近所の友だちカップルの家へ夕食に呼ばれた時も、「なるほどな」と感心させられる受け答えに出会った。その夜は私たち夫婦の他に、カップルの友だちが8人ほど集まっていた。・・・彼らの一人が私を見て、いきなり「日本はポリネシアの国なのか、ミクロネシアの国なのか?」と尋ねてきた。この手の〝ビックリ質問〟には時々遭遇するが、最近の若い人の中にもまだ、日本がどこにあるのか知らない人がいることに今さらながら驚いた。思わず、「はぁ、何言ってんの?」と言いそうになったが、相手は初対面、しかも真顔で尋ねている。さて、どう答えたものか……。

 一瞬沈黙した私に助け舟を出すように、同席していた別の男性が言った。

「おいおい、確かに日本は島国だし、地震がよく起こるよ。でもだからって、そんなに遠くまでは流されていないはずだ。おれの記憶が正しければ、まだかろうじて中国の近くにあるはずだぞ」

 うまい!座布団一枚!とんちんかんな質問で気まずくなってしまったその場にどっと笑いが弾け、質問した本人も「僕、バカなこと言っちゃったな」と笑いながら頭をかいた。

 無知であった彼を孤立させることなく、「日本がどこにあって、どのような国なのか」を一つのジョークにして周囲に伝えた言葉のセンスはさすが。仲間の中には、もしかしたら彼と同じように日本のことをまったく知らない人もいたかもしれないが、このジョーク一つで、「日本が島国で、地震が多く、中国の近くにある」という情報を得ることができたわけだ。

 こういう機転が利いた受け答えができるようになるまでには、相当な練習が必要だと思う。でも、言い方一つ、言葉の選び方一つで、楽しくて意義のあるコミュニケーションが取れるようになるのなら、練習してみる価値は十分にある。そう考えながら、私は今日もイタリア人との〝おしゃべり修業〟に励んでいる。