感謝

人生の終わり方も自分流

 曽野綾子さんのエッセイ、興味深く読みました。

 

P54

 私は今までに何度も普通の観光コースでない旅行をした。サハラ縦断や、アフリカの国々の奥地で働くシスターたちを訪ねた。そんな時こまごまと、ひたすら自分がガマンをしなくてもいいような品物を卑怯にもカバンの底に潜ませた。それらのちょっと便利なものは、宇宙開発と、南極越冬と、未だに続いている第三次大戦に至らない地域戦によって開発された武器の応用として生まれたもの、だと言わざるをえなかった。・・・

 すべての人はあらゆる人から恩恵を受ける。善からも悪からも贈り物をもらう。そのからくりを考えると、誰もが本来なら謙虚にならざるをえないのである。

 

P159

 人との違いさえわかれば、次の段階が自然に見えてくる。自分の短所ではなく、長所を伸ばせばいいのだ。人と付き合うことが好きならその点を、一人でいることが好きならその性癖を、体が丈夫なら肉体労働を、生かせるような仕事を探せばいいのである。人間、自分の得意なことをするのが一番幸福だ。嫌いで不得手なことを一生の仕事にしたら、それほど大きな損害はない。・・・

 つまり人間は、過不足なく、自分自身であるべきなのだ。才能においても自分を伸ばし、職業においても得意の分野で働くことなのである。それが自分が自分自身の主人になる方法なのである。それを浅慮の結果、他人の価値観で人生を選ぶから、自分の心にそまない生き方をして、奴隷のように他人に使われて生きることになるのである。

 幸福になる秘訣は、「あるもの(自分に与えられているもの)を数えて喜んで生きる」ことなのだ。しかし多くの人が「ないもの(自分に与えられていないもの)」を数えて不服を言う」。歩くこともできない病気の人から見たら、歩けるだけで大きな恩恵だ。口から食事ができなくなった老人と比べたら、自分で大きな握り飯をぱくぱく食べられる人は天国の境地にいる。それなのに、人間はいつも不服なのである。

 人はその数だけ、特殊な使命を持っている。誰一人として要らない人はいない。そのことをはっきり自覚し、自分に与えられた運命の範囲を受諾し、そのために働き、決して他人を羨まない暮らしをすれば、誰でも今いる場所で輝くようになる、その仕組みをわかる人だけが、人生で感謝を知るようになるだろう。感謝が幸福の源泉だ。不平ばかり言っている人は、みすみす自分の周囲を黒雲で閉ざし決して陽射しを受け入れようとしない人である。感謝があると、自分の受けている幸福の一部を、他人に贈ろうとする。おもしろいからくりだが「与える」と「得る」のである。試してみてほしい。