「もうあかんわ日記」より先に出版された、こちらの「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」も、読めてよかったです。
P42
わたしは4歳下の弟・良太と、1泊2日の旅行をすることになった。
良太は、生まれつきダウン症という染色体の異常があり、知的障害もある。みんなと同じように話すことはむずかしいし、むずかしい話もわからない。でも、勉強なんてできなくても人は優しい真心さえもってればよいのだというのを地でいく、よくできた弟だ。
・・・
パルケエスパーニャへ向かうバス停で、わたしは度肝を抜かれた。
バスを待つそこそこ長い列に並んでいた。むこうの交差点からバスが近づいてきたとき、列を整理していた係員さんが「両替ができませんので、小銭のご用意を!」といった。
わたしは、かざす気満々で手にしていたSuicaを、とり落としかけた。これでスマートに乗車する気だったのだ。小銭なんぞ、ねえのだ。
しかし、このバスに乗り遅れれば、開園時間には間に合わない。
やわらかな春の風ふき込む伊勢志摩の片隅で、青ざめてパニックになるわたし。
なにを思ったか、わたしは良太に1000円札をにぎらせた。そして、親指と人差し指で輪っかをつくって見せる。「銭」を示す下世話なジャスチャーであった。
「なんか、ホラ、あのインフォメーションっぽいところで、くずしてきて!」
弟に、一抹の望みを託したのだ。
なに食わぬ顔でうなずき、のっしのっしと、たくましく歩いていく良太。その背中を見送りながら、わたしは全力で後悔した。
間違えた。良太が列にならんで、わたしがくずしてきた方が、よかった。
そもそも良太に、札をくずす、という言葉が伝わるだろうか。きっと両替すらしたことはないだろう。
ああ、良太にも申し訳ないことをした。バスはあきらめて、次のを待とう。
わたしがあきらめてからほどなくして、良太がのっしのっしともどってきた。
左手に小銭を、右手にコカコーラのペットボトルをもって。
その、堂々たる勇姿ったら。背中から光が差しこんで見えた。
わたしは、雷に打たれたような衝撃を受けた。
なぜ良太は、やったこともない両替を、やってのけたのか。
たぶん、こんな感じのことを考えたんだと思う。
「姉ちゃんが丸いお金を欲しがってる」
「そういえば、自動販売機に紙のお金を入れてジュースを買ったら、丸いお金が出てきたはず」
「どうせなら、ぼくが好きなコーラを買っとこう」
良太は、インフォメーションで両替をしたことはない。でも、自動販売機でジュースを買ったことはある。
だから、そういう行動に出たのだ。
良太は、これまでの人生で得てきたなんとなくの経験値と、まわりの大人のみようみまねで、わたしの窮地を救ってくれたのだった。ほんまかどうか、わからんけど。
ひと仕事を終えた良太は、パルケエスパーニャに向かうバスで、悠々と寝ていた。
首がとれるんじゃないかと思うくらい、ゆれに合わせてガックンガックンしてて、まわりの子どもから笑われていたけど、ちらっと彼らを見ただけで、意にも介さず寝ていた。
すごいなあ。
ただただ、思った。
・・・
言葉も慣習もわからない。思っていることをうまく伝えられない。
そんな良太を、わたしは、助けてあげなければいけないと、きっと心のどこかで思っていた。
でも、良太は良太なりに、24年間を生きてきて、いろんな「みようみまね」を覚えていたのだ。
だれに笑われても、あわれまれても、まったく気にせず。
もぐもぐ食べて、すやすや眠り、げらげら笑い、大人になっていた。
そして、わたしを助けてくれた。
だれにも、なにも、教えてもらっていなかったはずなのに。
もしかして、助けてあげなければいけないどころか、良太はわたしよりたくましい存在かもしれないと思った。
たとえば、いまこの世界に、宇宙人が襲来してきたとして。
言葉も文化もわからない宇宙人に、人類はパニックになるだろう。
争いか差別かが、きっと起こるはずだ。受け入れることは、はねのけることよりはるかにむずかしい。
でも、きっと、人類でだれよりもはやく彼らと共存できるのは、良太なんじゃないか。
だって、良太にとっては、当たり前だったから。
なにもわからなくても、みようみまねで、なんとかしてきたから。
なんとかする、という自覚すらないまま、限りなく自由に、生きてきたから。
そういう、世界規模で強い人間が、身内にいたってことに、感動をかくせなかった。
・・・
あのとき、良太が買ってきたコーラは、一口もわたしにくれなかったけど。
もしかして両替っていうより、自分がただ飲みたかっただけじゃないの、ってちょっとだけ思ったけど。
宇宙人の襲来を心のどこかで願いながら、旅を終えたわたしは、今日も元気に、みようみまねで生きている。