この習慣すばらしい♪と思いました。
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ちきりん家には「よかった確認」という習慣があります。どんなに絶望的に思えることでも、その中になんらかの意義を見いだし、「よかったね」と確認するというもので、ちきりんの母はこれの天才です。
道に迷ったときに「ダイエットになってよかったね」というくらいは序の口で、誰かが飲み物をこぼすと、床を拭いた後、「汚れていた床の掃除ができてよかった」といいます。
旅行先が空いていれば「混雑がなくて疲れなくてよかった」、混んでいれば「活気があって楽しかった」、病気をすれば「健康のありがたさがわかってよかった」となります。
大混雑のイベントで財布を盗られても「お金で済んでよかった」ですし、他の章にも書きましたが、大事な仕事に寝坊をして遅刻したときにさえ、「そんな大事な日に起きられないなんて、相当疲れていた証拠よ。もしも起きられていたら、無理がたたって病気になったかもしれない。起きられなくて(倒れる前に体力が回復できて)本当によかったね」といってくれます。
このように、何か悪いことがあると必ず誰かが「よかった確認」をする家で育ったため、今ではちきりんも、つらいこと、哀しいことがあったとき、泣いたりわめいたりしながらも、「よかった」部分を探す癖がついています。
ちきりんが日本の将来について基本的にはとても楽観的であることも、ここから来ています。「不況でよかった」「田舎でよかった」「英語が苦手でよかった」「モテなくてよかった」など、何につけても「よかった」面を確認しながら生きていけば、世の中も人生も捨てたものではありません。
物事にはよい面と悪い面があるのです。どうせならよい面をより多く見て生きていけば楽しく暮らせます。わざわざ悲観的に考える必要など、どこにもないのです。
というわけで、ちきりんの考え方の根底には、このふたつの原則があります。
1.自由に生きる、ということ。誰かと比べられるのでも社会に評価されるためでもなく、自分のために生きよう、ということです。
そして、
2.モノは考えよう。世の中はいうほど暗くない。楽観的に生きよう、ということです。