笹本恒子さん

97歳の幸福論。ひとりで楽しく暮らす、5つの秘訣

 何歳だから・・・というのは、個人差があり過ぎて考えなくていいことみたいだと、この本を読んで改めて思いました。

 こちらのサイトに

www.jrockpeople.com

最近のインタビューが掲載されていました。

 

P104

 わたくし、96歳まで自分の年齢を一切言わなかったのです。仕事のアシスタントをしてくれた姪なんか、よく「言いたいわ~」と焦れていましたよ。「年齢を教えて、みんなのびっくりする顔が見てみたい」ですって。

 各界で活躍する明治生まれの人たちを取材した〝明治の女〟シリーズの仕事をしているとき、わたくしは70~80代。100人ほど撮影しましたが、中には3つか4つしか、年齢の違わない人もいたのです。

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 取材に行く先々で「笹本さんはまだお若いから」と言っていただいたけれど、内心は「そんなに変わらないんだけどな」って。もちろん、しらんぷりしてカメラを向けていました。

 なぜそこまで歳を隠していたかと言えば、それはやっぱり、ずっと仕事をしていたからです。

 70いくつ、80いくつ、と公言すれば「そんなやつに写真が撮れるのか」と、こう思われてしまうわけです。日本では特にそうですね。

 女だから、高齢だから、で信用してもらえないことが多々ある。

 ですから年齢を言わないことは、わたくしの〝自分への約束事〟でした。仕事を続けるため、ずっと現役でいるための〝約束〟。若く見られたいとか、決して、そういうことではないのです。

 96歳まで年齢をナイショにしていましたが、年齢を伏せて生きるって、これが結構大変なこと。

 あるとき、友達がご主人に、わたくしが年齢をあかさないことを話したのだそうです。それを聞いたご主人は、彼女にこんな言葉を返したとか。

「年齢を言わないというのは、実はとても難しいことだ。いつ、どこから見られても、年齢を悟られないような努力が必要なんだよ」

 そう!そうなんです!彼の言う通り、エイジレスで生きるためには、たえず〝緊張〟と〝努力〟が必要なのです。

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 座るときも、立つときも、歩くときも、背筋をピンと伸ばす。歩幅を広くとって颯爽と歩く。「疲れた」は禁句です。自分を甘やかしません。

 わたくしももちろん、都内を走るバスのシルバーパスというものを持っています。70歳になるともらえるそうですから、実はずいぶん前から、ね。

 ひとりのときは、パスを使います。でも以前は、誰かと一緒のときにそれを出せば、70歳以上だということがバレてしまう……。だから一番最後にバスに乗って、こっそりパスを出したり、場合によっては均一運賃の200円を払ったことも。こんな涙ぐましい〝努力〟もしてきたのでございます。

 

P152

 2001年のこと。ニューヨーク在住のヒガさんという日本人の知人がいてね。「今度のバカンスには、南フランスへ料理を習いに行くんだ」と言うのです。「いいなぁ、わたくしも行こうかしら」とつぶやいたら、「笹本さんも行こうよ!でもホテルなんかないところだよ。オヤジのうちに泊まるんだ」って。「あら、わたくしも泊めていただけるの?」「広いから大丈夫」

 それで南仏の田舎町へ出かけて行ったのです。ヒガさんの奥さまはイギリス人で、彼女のお父様がその土地に暮らしていました。

 ・・・ひろーい敷地で、プールもあるの。畑も作っている。そこに彼は暮らしていました。10年ほど前に奥さまを亡くし、ヒガさんの奥さまである娘も、息子も、遠く離れたところに住んでいるのでひとり暮らしです。

 とても素敵な方でした。俳優さんみたいな風貌で。彼はもともと彫刻家で・・・毎日畑を耕し、プールで泳いで、彫刻をして暮らしている。お料理がばつぐんに上手でね、自分で作った新鮮な野菜でおいしい食事を作ってくれました。

 それから毎年、その方とわたくしはクリスマスカードをやりとりするようになったのです。彼は自分の撮った写真を一緒に送ってくれたりもしました。

 そして2010年の秋。東京・目黒のギャラリーで開いた『恒子の昭和』の写真展のあとに、わたくしはニューヨークへ撮影に行きました。ヒガさんのおうちにも2晩ぐらい泊めていただいたのです。そのときにヒガさんの奥さまが、南仏のお父様のところへ電話をかけたのね。「今、笹本さんが来ているのよ」って。すると、お父様が電話の向こうで「笹本さんはまだ独身かね」と聞いたんですって。「そうらしいわよ」と彼女が答えると、こうおっしゃったそうです。「そうか、俺のようないい男はまだ見つからないのか」・・・