何も持たないことは、すべてを持っていること

99歳、ひとりを生きる。ケタ外れの好奇心で (単行本)

 体を使って生きることは大事だなと思いました。

 

P105

 一九九七年の二度のネパール旅行に続き、二〇〇〇年にもヒマラヤにまいりました。この地を訪れますと、文明の利器に囲まれた生活に慣れ、感性も鈍くなっていた自分の軸が、変わってくるのを実感いたします。

 この村で出会った老人や女たち、子どもたちにも惹かれました。大地をつかみ、山道を歩く敏捷な脚、しなやかな腕。自分の体を使って働き、自然の中に根を下ろして生きる人々の張りつめたような美しさ、純真な子どもたちの輝くような瞳や表情。

 わたくしはそれまで人間はほとんど描かなかったのですが、その姿を絵にしたいと思うようになりました。厳しい自然の中でも力強く生きている人間に、自然の木や花と同質の美しさを感じたのです。

「毎日、ヒマラヤを見て育ったお子さんは、どんな大人になるのでしょう?」

 と、あるとき、訊ねましたら、ネパールの人と結婚してこの地で暮らしている日本人の女性が答えてくれました。

「何か新しいことをしようとは思わない、向上心のない怠け者です。ただ、自然を克服しようというような思い上がった考えは持っていません」

 わたくしは大きな衝撃を受けました。自然と闘い、克服することによって文明を打ち立ててきた人間が、今どれほど思い上がっているか。

 ヒマラヤの峰を神のように思い、電気もガスもない、与えられただけの環境で満ち足りた思いで暮らしているネパールの人々を、神々しく感じました。

 自分の体ひとつで生き抜いている人たちの威厳に満ちた暮らしが、限りなく尊いものに思えたのです。

 何も持たないことは、すべてを持っていることなのだ。そのことを体で感じ、わたくしの心は震えました。