この辺りのお話も印象に残りました。
P40
もし今、「若いころに戻りたいですか?」と聞かれたら、答えは「いいえ」。これは決して強がりではなく、若くなんかなりたくはありません。
それは、今にいたるまでに積んできたものの貴重さ、それが表現者にとってどれだけ大切かをしみじみ感じているからです。
世の中では今、「アンチエイジング・ブーム」とかいうそうですが、なんで若返りたいのか、私にはよくわからないのよ。だって、「あのころは何も知らなかったじゃない?」って思うもの。
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・・・私はヨーロッパで活動しているころ、いわゆる「老年期」に入った音楽家たちが、毎年見事な変化と発展を見せる姿を目の当たりにしてきました。余分なものが取りのぞかれ、洗練された老練な表現力に魅せられたこともたびたびです。
私自身、年齢とともに「得たもの」と「失ったもの」を比べれば、「得たもの」のほうがずっと大きい。
〝老いてこそ〟得たものを表現していかなければもったいない。
そして、まだまだピアノにはわからないことがいっぱいあるから、今の蓄積の上に、さらに少しずつ積み重ねていきたい。
2年、3年、先を目指して……とは考えていません。
1日、1日、大切に生き、1音、1音、愛しんで過ごしています。
P170
気ままな独り暮らし。その日、その日で自分の気分や体調に合ったものをつくって食べたいので、買い物と料理は自分でやっていますが、お掃除と洗濯は人手を借りていますし、年をとればなんやかんやと助けてもらっています。そんなとき、こちらが思うようにやってもらえないことももちろんありますが、イライラはしないですよ。
相手に過剰に期待しないから。だって、マメにきちんとするのが好きな人と、そうでない人がいるでしょう?みんなが自分の思うようにやってくださるわけがないものね。そして、「もう少しこうやってくれたらいいのに」と不満に思うようなことは自分でやれば十分。私、ピアノに関してだけはとてもまじめな〝ピアノの虫〟ですが、あとは結構、いい加減なのね。
最近、自分でちょっと嫌だなと思っているのは、以前は思い立ったら落語でもなんでもすぐに聴きに行ったりしていたのが、このごろでは行動力が鈍って出しぶってしまうこと。
でもね、その「面倒くさい」と思っている自分を「いいんじゃない」と受け入れちゃうので、自分に対しても腹が立たないの。
イライラしない秘訣は「ちょっと不まじめ」かもしれませんね。
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5歳をめいっぱい生きなければ、6歳になれない。
95歳をめいっぱい生きなければ、96歳になれません。
私は10歳のころから新聞を読み、吉村冬彦(寺田寅彦のペンネームのひとつ)の『藪柑子集』などを愛読していたのですが、そんな私を見て、母が「おませになる必要はないのよ」といっていました。
長じれば嫌でも難しい本を読まなければならなくなる。今、急ぐことはないのだと。
まあ、母がそんなに心配しなくても、新聞や本を読む以外は本当に「お転婆のまやちゃん」で、めいっぱい子どもらしく遊んでいましたけれど。
そんな経験から思うのは、5歳のときの生活をたっぷり5歳らしく経験しなければ、子どもは6歳になれない。6歳のときは6歳を十分に経験しないと、7歳になれない……ということです。
今では、それが子どものためだとばかりに、少しでも早くいろいろなことを身につけさせよう、少しでも早く先の教育を受けさせようと親ががんばります。でも、急がずにその年齢なりの体験をさせてあげることも必要だと思うんですよ。
5歳も、6歳も、7歳も、二度とは来ない年齢なのですから。
そして、それは何歳になってからも同じ。私自身、80歳になっても、90歳になっても、1年1年をめいっぱい生きてきました。
だから、人生に後悔はないといえます。
これからの96歳も日々、めいっぱい生きるつもりです。