巻き尺疑惑

ベンチの足 (考えの整頓)

 全国の巻き尺への疑惑を晴らしたいというこのお話、私も深く考えたことなかったので、へぇ~と思いました。

 

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 今日は、あるものに掛けられている無実の嫌疑について、それを晴らすべく、筆を起したい。

 それは、我々の生活においては些事中の些事と言ってもいいほどのことである。しかし私自身、人生数十年にもわたり、余りに申し訳ない誤解をしていたこともあり、悔悟の念から伝える責務を勝手に感じているのである。

 そのあるものとは、おそらく皆さんのご家庭にも一個くらいはあると思われる、金属製の巻き尺(メジャー)のことである。なんだメジャーかと思わずに、私の話を聞いてほしい。多分、いや間違いなく、あなたも誤解しているに違いない、そうでなければ、まったく気にしていない、そのどちらかである。こんなにも素晴らしい先人たちの知恵と工夫を知らずして、それどころか誤解したままメジャーを使うなかれ、なのである。

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 まず、メジャーの測る部分の先端を見てほしい。

 ひっかけるような金属の爪が付いている。目盛りのあるテープもやはり金属製だが、白の塗装がされている。

 通常、金属の爪は二つの鋲でテープに取り付けられている。問題は、この爪である。触ってほしい。すると何やらカチャカチャと弛んではいないだろうか。鋲が二つもありながら、微妙なずれがないだろうか。

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 もしかして不良品を買ったのか。いや、家にあるもう一つの別のメジャーも同じである。この部分は、素材的に、あるいは構造的に弛みやすいのか。それにしても測る道具が、こんなことでいいのだろうか。・・・

 さらに、目盛りをよく見てみると、最初の1センチのところ、微妙に短く感じないだろうか。気のせいかもしれないが、何やらちょっと短く感じてしまうのである。1~2ミリほどだろうか?短いとしたら、やはり不良品か。何かの拍子に削れたのか。お宅のメジャーはどうであろう。

 一年間で数回あるかないかのメジャーとの付き合いで、私がこのガタつきや微妙に短い1センチに対して、取ってきた態度はどのようなものであっただろうか。

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「鋲で金属を取り付けるのって、難しくて、すぐガタが出るものなんだよ」「1~2ミリなんて気にしないで、もっと大らかに生きようよ」「正確に測る時はメジャーじゃなく、ものさしを使えばいいじゃないか」などなど。

 しかしそれらは、すべて誤りであったのだ。メジャーに対して何ていう失礼な態度。憐れみや情けさえかけていたのだ。何という傲慢さ。すまないメジャー。

 実は、このガタつき、意図的であったのだ。きちんと測る工夫だったのである。だから新品であろうとガタついていたのだ。

 メジャーの使い方は二つある。測るものによって変わる。

 一つは先の爪を押しつけて測る(写真C)、もう一つは、先の爪をひっかけて測る(写真D)、である。測るものに応じて、二つの使い方ができるのである。

 

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 ここで、考えてほしい。写真Cでは、金属の爪の厚みを含んで測っていることになる。なので、爪の厚みを入れてちょうど1センチになるように目盛りが打ってある。つまり、爪の厚みの分だけ、最初の1センチは短いのである。測ると爪の厚みは1ミリであった。すなわち、最初の1センチは9ミリということになる。だから微妙に短く感じていたのだ。

 それに対し、写真Dでは爪の内側から測っている。この場合は爪の厚みは測った長さに含まれない。すると、短い1センチのまま、測ることになりはしないか。

 いや、ここにも工夫があるのである。目を凝らして写真Dを見ると、爪とテープの先端との間に、ほんのわずかな隙間が空いている。テープが右にカチャッとずれて、隙間を生んだのである。この隙間は1ミリで、短い最初の1センチ(実質9ミリ)をちょうど補填しているのである。

 先頭の爪がカチャカチャと動いてしまっていたのは、この二つの測り方にその都度、スライドして対応した結果なのであった。

 何というきちんとさ、何という叡智。

 私たちが無意識にちゃんと測れるような作りだったんだ。

 許せ、全国のメジャーよ、私たちの誤解を。

 安物だからガタつきがある、古いから壊れている、不良品だった。とんでもない濡れ衣だった。

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 私たちは、本当はいろんなことに気がついている。

 メジャーのガタつきも、最初は何か変だなって、微かに思ったに違いない。

 でも、何故か、それを抑え込む。気にしないようにする。その方が楽に生きられるのであろう。その選択の結果が、このメジャーに与えた屈辱的とも言える誤解である。まったく気がつかないのなら、やむを得ないとも言える。しかし、私たちは、無意識に近いところで、微かに気がつくのである。私は、メジャーに、もう何十回いや何百回も触れている。その度に自分に言い聞かせていた。「気にしない、気にしない」と。

 その態度を思い出す度に、腹立ちさえ覚える。何に対しての腹立ちなのか。それは、メジャーにかけてしまった誤解にではない。寧ろ、その後にメジャーにかけてしまった憐れみや思いやりにである。

 私は、自分が勝手に生んでしまった疑惑を追及するどころか、それに対して自分をいい人として存在させていた。

 許せ、メジャーよ、この冤罪にも似た汚名を与えたことを。