たしかにこれさえあれば、なんとでもなりますね。
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・・・今日は考えてみようと思う。
「なぜ、学校の勉強が超絶出来ないのに42歳まで特に問題なく生きてこれたのか」
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まず、わたくしの言う学校の勉強が超絶出来ないというのはどのレベルのことを言っているのかといいますと、算数でいえば小学3年生の分数はわからなくて、掛け算九九はできるぐらい。・・・
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次に、何事もなく42歳まで生きてこれた。
これに関しては、定義が難しく「特に何事もなく」とは自分ではそのように思っているのですが、周りからしたら、「おいおい離婚はしてるじゃねぇか」とか、・・・「・・・前の所属事務所と揉めてたじゃねぇか」とか、「15歳の次男が高校に進学しないって問題だろ」とか諸々言われたらこの話はおしまいなので、あくまで、
問題というのは問題と感じたら問題なのであって、問題と感じてないのであれば問題ではない
と、この場においてはそういう定義にしておきたいと思います。
つまりわたくしが言いたいのは、42歳の現在、自分で会社を立ち上げそろそろ10年になり、住宅ローンも終え、借金もなく、息子たちも進学しないまでも元気に大きくなって手のかからないところまできて、母親が介護になっても出来る限り大丈夫なように想定して準備して、今のところストレスフリーで生活出来ている。そういった人生ゲームで例えるならば半ば上がりの状態になっている自分の人生において、学校の勉強が出来ないことで問題が発生することは特になくここまできた、といった意味になります。
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で、なぜそこまで学歴スペックの底辺のわたくしが普通に生きてこれたかと思う要因を考えてみたいと思います。
「自分を信じる力が半端ない」
もしかしたら、これに尽きるかもしれません。
わたくしの自分を信じる力は半端ありません。
人を信じる力も半端なく、さまざまな経験もしましたが、自分を信じているので、いつも「なんとかなるだろう」と、自分は乗り越えられると思い込んでおります。
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たとえば、自分を微塵も信じていない人は他力本願でなんとかしようとするところが多いと思うので、変に人を信じたり、変なモノを信じて大変なことになったとき、引き返すことや、考えを変えることが出来なかったり、他人のせいにして思考が止まってしまったりするのではないかと思うのです。・・・
逆に、本当に自分を信じている人はすぐに間違いやおかしさに気がついて、軌道修正をしやすく、それを経験やバネにさらにパワーアップする人が多いと思うのです。
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それと同時にわたくしが自分を信じているということは、自分のことを本当に大好きとも言えるかもしれません。
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これ、自分のことが相当好きじゃないと自分の嫌なところやダメなところから目を背けてしまうと思いますから。
好きになるとそんな自分にも目を背けないで、しっかり向き合った上で、「そんな自分も良くね?だって人間だもの」と思います。
あれ、これ、今ものすごく立派なことを書いてるんじゃね?
失礼、自画自賛して話がそれました。
何が言いたいのかといいますと、・・・ほとんどの問題には原因があるわけでして、その原因を見つけようにも、妄信的な考えだとそこから抜けられないのではないかと思うのです。
・・・原因を取り除かないと似たような問題がやって来ることが自分の人生においてはほとんどでした。
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もう少しわかりやすく言いますと、たとえば金銭的な問題で揉めることがあったとします。
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・・・自分を信じていると「まあ、オレ様なら、また一から稼げるから今あるものはとりあえずくれてやるよ」と考えるわけです。そして解決。
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自分を信じていればいるほど揉めている時間も被害も最小で乗り越えていけるので、その分たくさんの経験を積めて似たような問題がやって来ることが少なくなり、同時に、その先の同じような問題に不安を感じなくなります(わたくし思うに、問題は長引けば長引くほど、だんだんと解決することが無理ゲーに近くなる気がします)。
そうなると、自分をどんどん信じるようになって絶大な自信になり、そんな自分をさらに好きになっていきます。
そして、不安を恐れず、思い立ったらいろんなことに挑戦します。
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これはあくまで、あくまでわたくしの人生においての話なのですけどね。
いや、何度も言いますけど、学校の勉強は科学的な問題やテクノロジー的な問題は解決出来ると思いますから間違いなく必要ですよ。
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その上で、自分は学校の勉強は出来なくても、人にはそれぞれある役割や役回りを見つけていければそれで良いと思い、現在のわたくしは父親として高卒認定試験に挑戦しているわけです。
が、こればっかりは1回で受かる気がしない……。