察する優しさ

人生の退き際 (小学館新書)

 曽野綾子さんのこの本の中で紹介されていた、アサヒビールの社長をされていた方のエピソードが印象に残りました。

 

P71

 ・・・偶然何代目かの社長だった樋口廣太郎氏は私の同級生のご主人だった。樋口夫人の公子さんと私は何と十七年間も同じ聖心女子学院という学校で学んだのである。・・・

 樋口氏と初めて親しく言葉を交わしたのは、あるオペラの会場で、その時私は初めて樋口氏が熱烈なオペラファンであることを知ったのである。私もついでに自分も最近はオペラを聴くようになり、切符の売り出し日の午前十時にプレイガイドなどの窓口に電話をかけると、殆どと言っていいほどにお話し中が続き、予約係を呼び出すまでに大変な思いをする、と言った。すると樋口氏は「じゃ、切符とってあげようか」と言ってくださった。その時私が返事を躊躇したのには複雑な思いがある。つまり人間は多くの他者のお世話になって生涯を生きるのだが、自分でできることは自分でするという姿勢を失ってはいけない、という一種の好みが働いたのである。会社の社長は忙しい方だから、秘書に切符を用意させてもいい。しかし私は時には意地悪な予約係と戦って『アイーダ』の切符を買えた時、初めて幸福感も増すのである。驚いたのは、樋口氏がほんの数秒間に私のためらいの真相を素早く察しられたことだった。

「そうか、曽野さんは自分で切符をとる楽しみがあるんだったな」

 と、樋口氏は言われ、それでこの短い会話は終わりになった。

 樋口氏が他人に対する優しさを示されたケースは他にもある。後年私は視力障害者や車椅子の人たちと、イスラエルの聖地への巡礼の旅を何回かすることになった。その時樋口氏夫妻は「若い友人」である作曲家の三枝成彰氏と、文字通りボランティアとして参加してくださったのである。楽譜とタクトより重いものを持ったことがなさそうな三枝さんが、岩だらけの遺跡を、足の悪い方をおぶって降りてくださった光景を私は忘れられない。

 その時私は左足首を骨折後、まだあまり経っていない時であった。死海の近くの岩山の遺跡で、私はまた転んだ。大したことはなかったが、せっかく治りかけの足にまた悪い刺激を与えてしまったという後悔が先に立った。すると樋口氏はさっと寄って来て「僕はマッサージがうまいんだ」と言われて、私の捻挫しかけた足を揉んでくださった。聞いてみると、当時のビール会社は、重いものを人力で持ち上げる機会も多かったので、捻挫や腰痛に悩む社員がけっこういたというのである。

「うちの会社には専門の治療室があるから、よかったらいらっしゃい」と言ってくださったのだが、私は何とか危機を乗り越えた。

 私の会った多くのリーダーたちは、必ず人間的な強烈な誠実さという魅力を持っていた。それが社会を動かす力の源泉でもあるのだろう。