自分流のすすめ

自分流のすすめ 気ままな私と二匹の猫たち

 こちらの本にも印象に残る言葉がありました。

 

P4

 どんな問題についても、そして彼の死後でも、私は夫の答えがわかっているような気がしていた。私たちには基本になる姿勢があった。その姿勢はいくつもあったが、そのうちの一つは、カトリック的な解釈の基盤の上に暮らして来たせいでもある。私たちは決して理想的な信者ではなかった。しかし私たちは、人間がすべて神の子であり、神はその人によって、彼又は彼女が持っているあらゆる特異な才能をお使いになる、と信じていた。

 健康は一つの贈られた資質だが、病弱も人を考え深いものにする。秀才による世の中の進歩の恩恵に私たちはあずかるのだが、あまり頭のよくない子供の誠実さにもうたれて、徳というものはどんなものかを知るのである。

 

P79

「生活は、こんなものでいいのよ」

 と私はずっと言ってきた。

 自分自身の成長期にも、作家生活を始めてから後も、私は仕事柄、ずっと貧しさを見て暮らしている。成長期は、終戦という国家的不幸な時代に当たっていたし、作家として取材を始めてから、私は自然に貧しい途上国にばかり行く機会が多かった。

 人間の幸福と不幸は、質こそ違え、あらゆる階層の生活に偏在している。食べるものがなくて、空腹を満たせないという根源的な辛さは、貧しい生活特有のものだが、物質的に豊かでも、心が満たされていない不幸はどの生活にもある。

 要はあらゆることにドギマギせず、自分の身の周辺に起きたことを、むしろしっかりと味わって、現世をおもしろがれることだろう。それができる人を、私は「生活の達人」と呼んで憧れている。