聞く力

聞く力 心をひらく35のヒント (文春新書)

 この本、読んだような?まだのような?どっちだったっけ?と思いつつ、手に取りました。読み進みながらも、どっちだろう・・・?

 いずれにしても参考になりましたし、すごい数の実践の中から大事だと思われたことについてエピソードを元に語られているので、いい本だなぁと思いました。

 サブタイトルにあるように「心をひらく」ためのヒントが頭から尻尾まで詰まっています。詰まっているだけに、一部引用が難しいので、ちょっと枝葉の部分で印象に残ったところを・・・。

 

P179

 俳優のモーガン・フリーマンさんにお会いしたときも、視線についての思い出があります。それは私の目ではなく、フリーマンさんの目のことです。

 ・・・

 私が日本語で質問し始めると、それまでソファの背もたれに寄りかかったり、足を組んでリラックスした様子で話をしていたフリーマンさんが、突如、組んでいた足をほどき、前屈みになって、私の目をじっと見つめ、一生懸命、私の言葉に耳を傾けようとなさるのです。私はつい、吹き出してしまいました。

「日本語がおわかりにならないでしょうに、どうしてそんな真面目な顔で私の質問を聞こうとなさるのですか?」

 笑いながら尋ねると、フリーマンさんがこう答えてくださったのです。

「もちろん私は日本語がわからない。でも、あなたが真面目に質問をしてくれているときに、私も真面目な態度を取らなければ、失礼な気がしてね」

 もうね、それ以来、私はモーガン・フリーマンという役者さんが大好きになりましたね。もちろんそれ以前から、カッコイイおじさんだとは思っていましたが、その言葉を聞いてからは大好きの度合いが十倍ぐらいに膨らみました。

 なんて素敵な人でしょう。そのときのフリーマンさんの目は、私を射抜くような鋭いものではなく、真摯で謙虚で、聞き手の私を安心させてくれるような温かみに満ちたまなざしでした。

 

P181

 ・・・あるとき、視線を合わせないことが、必ずしも失礼ではない文化が存在することを知りました。

 そのことを教えてくれたのはエチオピア人でした。もう二十年ほど昔のことですが、私がアメリカのワシントンD.C.に住んでいた頃、たまたま通りで出会ったエチオピア人の若者に声をかけられて、少しだけお喋りをしたのです。すると彼は、

「君は日本人か。日本人と僕たちエチオピア人は、とても似ているんだよ」

「へえ、どういうところが?」尋ねると、

「たとえば人と目を合わせないだろ。それは相手に敬意を表すためなんだ。特に尊敬する人をじろじろ見たりはしない。アメリカ人みたいに、人のことをじっと見るのは、僕の国では厚かましい行為なんだ。日本人も僕たちと同じ文化を持っている」

 すっかり同志扱いされて、私は戸惑いました。だって私はアメリカに来て、なおさらのこと、「人の目を見て話すのが礼儀だ」と信じ、日夜、その方向に向けて自らを鍛錬していたのですから。

 同じ頃、ネイティブ・アメリカンの人々も、同じ文化を持っていると知りました。

「自分より歳上の人と話をするとき、若輩は顔を伏せ、決してその人と目を合わせてはいけないというしきたりがある」

 ・・・そういえば、昔の家臣は殿様の前でずっと頭を下げたままの姿勢を保っていたし、お姫様はたいてい御簾の向こう側にいて、直接、顔をさらさないようにしていたし、「頭が高いぞ」という叱責の言葉は、無礼者に対するものだったし。考えてみれば、自分より目上の人をじっと見つめることは無礼な仕草と見なされる文化が、昔から日本にもあったのだなあ。