死という最後の未来

死という最後の未来

 曽野綾子さんと石原慎太郎さんの対談本。

 80数年生きて来られた、同世代のお二人だからこそのやりとりを興味深く読みました。

 

P71

曽野 ・・・私は小さい頃から強度の近視でしてね、0.02以下でほとんど何も見えない。それで鬱っぽい状態もあったんです。それがますます見えなくなって、50歳少し前にほとんど視力がなくなった。このまま私は失明して、全盲になると思いました。

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 それで、いよいよ水晶体が曇ってきて、手術をすることになったんです。これは本当にまったく偶然だったのですが、その手術で、裸眼でハッキリ遠くも近くも見えるようになった。・・・そしたら興奮しました。何もかもが見える。あ、茶碗ってこういう形なのね、とわかった。

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 退院してから山手線に乗ったら、あちこちに見える看板とか物干し台とかに、いちいち感動して、夫に「なぜ皆、感激しないの?」と言ったら、「そんなことしていたら疲れて死んじゃうわ」と言われましたけど(笑)。あまりの新鮮な刺激でどう受け止めたらいいのか、わからなかった。

 50年目にして初めて目を開けた感じで、初めて見える人の生き方がわかった。

 

石原 その、蘇生感はすごかったでしょうね。

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 しかし、それだけ視力が回復したということは、人生の大転換だったでしょうね。神様に感謝したでしょう。やはり、何かの加護というものを感じませんでしたか。

 

曽野 驚きのあまり、食欲がなくなったほどです。でも反面、試練も受けたのだと思います。

 

石原 試練?

 

曽野 おまえはこれをやりなさい、と言われたような気がしたんですよ。私の目から光を奪わずに、生かされた。何か人間を超えたものが介在した、と感じます。

 ですからカトリックでは「病気を贈られた」というんです。「不幸を贈られた」「悲しみを贈られた」。贈る。つまりプレゼンツですね。人は病気になるまで、健康のありがたみがわからないでしょう。よくなったらなったで、忘れますし。

 

石原 それは劇的な出来事でしたね。

 

曽野 50歳になる直前のことです。それで50歳になった時に、思い切って、サハラ砂漠に出かけることにしました。自分の生涯において、どうしても行ってみたいと思い続けていた場所です。

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 ・・・何もない。そういう極限に、自分を置きたかった。大地に眠るとは、どういうことかとか。目がよくなったことを機に、これまでやりたくてもできなかったことを絶対にやっておこう、そう思って。

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 ・・・砂漠では人間の小ささを感じますが、その小ささこそが自由です。無数の星が光る夜空も現世の光景ではないみたいで、あれを見たら死んでもいいとさえ思いましたね。・・・