応援をそのまま力に

蒼い炎II-飛翔編-

 お母さんとのやりとり、考え方、これまだ8年前の話・・・ということに驚いてしまいました。

 

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 2012年3月、羽生結弦は、温暖な気候の保養地、フランス・ニースで開催される世界選手権に初めて出場することになった。

 ・・・ショートプログラム前日の公式練習で右足を捻挫してしまい、靴が履けないくらい腫れてしまう。

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 ショートプログラム後も、羽生結弦は故障について何も語らなかった。しかし、そんな状況下でよい演技ができたことは、彼の気持ちに微妙な変化を与えていた。

「ショートの前の日に怪我してしまったので、そんななかで『4回転降りてよくやった』みたいな感じを持ってしまっていました。自分一人で頑張ったって。でもショートが終わってから、『それは違うよね』と母親に言われました。結局、怪我したのだって自分のせいだし、助けてくださった方もたくさんいて、応援してくださる方もたくさんいる。だからこそ、ここまでできたんだよって。夜9時くらいまでご飯食べながらそんな話をして、最終的に自分の考えは違うということもわかりました」

 全日本選手権から世界選手権までの間、応援してくれる人たちの思いに向き合った時間。そしてうまくいったショートプログラムを終えて、知らずに芽生えていた慢心に気づけたこと。

 17歳の羽生結弦は、すっかり別人のような志で、フリーを迎えた。

「(翌日のフリーは)全然違う気持ちでした。本番のイメージトレーニングの時から、それはすごく感じていました。名前をコールされて出て行く時、たぶんテレビでは映ってないですけど、ずっと目をつぶっていたんです。屈伸したあと真ん中に行く時にずっと目をつぶっていて。その時、こう思ったんです。たしかに自分は選手で、これは自分の戦いかもしれないけれど、今の自分一人の力では絶対どうしようもないって。順位取りたいとか、結果取りたいという気持ちはすごくあったんですけど、一人の力じゃどうしようもない。あと、今まで応援してきてくださった方に申し訳ないって。応援を受けて奮起して頑張ろうというのはすごく大事なんですけど、母親と話すなかで、応援を受けて頑張ろうじゃなくて、応援をそのまま受け取ろうと思ったんです。ちゃんと受け取って、それをちゃんと力に変えようって。応援の力をそのまま自分の中に取り入れたいなと」

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「震災があってからちょっと変わったかなと思います。やっぱり自分は周囲を支えようとする立場だと思われるんですよ。メディア的な部分でも。自分の演技を通じて応援できれば、という感じに。でも、逆に僕がすごく支えられていたなって感じたんです。それに気づいたのはやっぱり震災があったからこそですね。地震に関しては、いつか起きるという確率があったなかで、そこにめぐりあったその世代が考えなきゃいけないことだと思うんです。そう考えるようになったのは、いろんな方々が支えてくださったということが前提です。根本にそれがあります。・・・」