所ジョージさんの考え方に興味を持って、こちらの本も読んでみました。
四半世紀ちょっと前の本なので、ちょっと時代的に今は違うかもという内容もありましたが、ユニークな理屈が面白かったです。
P27
新亭主論ということでありますが、私の場合は基本がおかしいのです。おそらくほとんどの人と違う、メチャクチャなかたちで私は結婚というものに入ってきているのです。そのへんのことも話しておくとしましょう。
私が長男で、カミサンが長女なので、いってみれば双方があととりってなことになるわけです。
で、私の場合、あととりって一体なんだと、思ったのです。名字なんて別に何だっていいのです、だって名前に左右されて生きているわけではないのですから。
でも世間一般ではけっこう名字を大事にしているんですよね。ここで名前が途切れると、お袋や親父が悲しんでしまうかな……なんてね。
もともと何で名前を継がなきゃならないのか、よくわからないのです。名前を継がなければならないのではなくて、その人の子、またその人の子というように、人を継いでいくのが本当で、名前を継いでいくのとは違うのではないかなと思うのです。
ただノート上だけのことでしょ、名前なんて。・・・
だから婿養子だ、お嫁さんだ、なんてこだわってるのはバカバカしいのです。それはノート上を気にしている人だね。・・・結局都合のいい方になればいいのです。・・・
・・・
私の場合、どちらかというと男の人は家主として女性よりも強いわけだから、男の方が引けばいいと思うのです。強い方が引くべきだ、というのが私の考え方。
だから単純に俺はお婿さんにいくと、それでいいと思ったわけ。そんなわけで私は婿養子として結婚したわけであります。
でも私らの場合は結婚といっても、恋して恋して、大好きで大好きで結婚、というのではないのです。
私がカミサンの家に居候をしていて、やがて30歳かそこらになったら、結婚するんだろうな、なんて思っていたのです。たぶんそうだろうな、くらいにしか思ってなかったのです。
ところが、25歳の頃に週刊誌で、〝所が同棲してる〟なんて書かれたわけですよ。
でも、同棲というのは最低でも半分ずつお金を出し合っているとか、もしくは俺がリードしているってことでしょう。でも俺は居候だったわけで、つまり、ちぐはぐな情報が出てしまったのです。
居候で、全部あっちが経済的な負担をしているのに、この書き方はないだろうと、そう思ったのです。だって悪いじゃないですか、相手に。
で、私は反省したわけです。その反省を含めて結婚したのであります。
・・・
ちなみにその時の私の給料は7万円くらいでしたね。カミサンは自分で商売やってて100万円以上とってましたね。
それでも結婚すれば俺のリードだ、と思っちゃうところがやっぱり男なのです。・・・
なんでここまでずうずうしいことを考えられたのかっていうと、結婚すると、男の人が家長としてリードしていくものだって、そう思っていたからなのです。
で、カミさんはお店をたたんじゃって、私の給料はその後増えたとはいえ手取りで20万円くらいだった。・・・
・・・いざマンションを借りるとなっても、借りるお金がない。だからその時持ってたハーレーとかクルマとかを全部売って、頭金をつくったりしたのです。
・・・
男のリードで始まんなきゃいけないのに、これはもしかしたらカミサンに負担をかけてしまうかもしれない、と思ったのです。出だしからよくないなぁ……と思った。「カーテンは何メーター買ったの?」って聞いた時にはなんだか寂しいものがあったのです。
それだけ結婚したら俺のリードで始まるんだっていう意識が強かったのです。
でも、そうじゃなければダメだと思うな。リードしていくっていう気持ちがあるから大切にするし、引くところは強い方が引くのだと、そういうことなのです。
ところがそこに、奥さんがリードしていってもいいんだっていう気持ちがあると、今度は俺が弱いんだから、言うことは言わしてもらうよと、そういう態度になってきてしまうのです。
そうじゃないのです。
自分がリードする方で家主なんだから、金がなくたってなんだってリードする。だから相手に対しても強い者として怒れない、ある程度譲歩しなければならない、ということになるのだと思うのです。