感じるオープンダイアローグ

感じるオープンダイアローグ (講談社現代新書)

 昨日ご紹介したローティの思想は、オープンダイアローグにもつながるような?と思いました。

 

P156

 2016年9月、再びケロプダス病院に行った。実際に1年間オープンダイアローグを実践してみて、質問したいことが山のようにあった。こういうときはどうしたらいいのか、ああいうときは、そういうときは……。

 けれども現地に着いたら、それらは考えすぎていたと感じ、質問したいことはほとんどなくなった。輪になって、実直に対話の姿勢を守り、ただ対話する。話の内容は多様だから、こういうときはこうしたほうがいい、みたいなマニュアルはまったく存在しない。「7つの原則」の一つ、「柔軟かつ機動的に」の意味はここにある。

 ・・・

 ロールプレイが終わりに近づき、セラピスト役の人が残り15分になったことを知らせたとき、娘役の人から質問が出された。

「この場でしたような対話は、皆さんのような専門職がいないところ、家でもしたほうがいいのでしょうか?」

 その問いに、スタッフの一人であるトミーが、

「そうしたほうがいい」

 と即答した。それまで彼は、ほとんどというか、まったく「助言」というものをしていなかった。話したいことを話すのを手伝うような質問や、その話を聞いて自分がどう感じるかを話すことはあったが、しかしこのとき彼は、はっきりと家庭でも対話を続けたほうがいいと助言した。

 ・・・私は、トミーのところに駆け寄ってたずねた。

「それまであなたは、まったくといっていいほど助言をしていなかったように思うのだけど、家でも対話をしたほうがいいということだけは、どうして即座に答えたのでしょうか?」

 今考えると愚かな質問だったと思うのだが、当時の私には、そのように断言してよいのか、わからなかったのだ。私はまだ、オープンダイアローグのやり方を学ぼう、技法のようなものを身に付けようとしていたのだと思う。このロールプレイが始まる前に、スタッフたちはこう言っていた。

「私たちは今からロールプレイをしますが、どうか私たちのことを真似しようとはしないでください」

 私はそれを理解したと思っていたのだが、この対話が行われていた時間、私は一言一句聞き漏らさず、すべての言葉をメモしていた。なんとか「やり方」を真似ようとしていたのだ。

 トミーは、そんな私の様子を知っていたのか、

「そうなんだ、家族で話すことが大事なんだ」

 とだけ言った。私はまだ、オープンダイアローグの対話は特別な時間であり、対話を促進する訓練を受けた人たちがいるからトリートメントが進む、他とは違うアプローチなのだと思っていた。だから、対話の促進者なしに、家族だけで話すことが大切とは思えなかったし、場合によっては危険なのではとさえ思っていた。

 しかし今は、専門職のいないところでも対話が続くことが、オープンダイアローグの本来の目的なのだと理解している。

 もしも、会話をすることをあきらめていた家族の間で、話してみたい、相手のことを理解したいという気持ちが湧き起こったとしたら、それが本当のオープンダイアローグの始まりになるのだ。