ららら星のかなた

対談集-ららら星のかなた (単行本)

 谷川俊太郎さんと伊藤比呂美さんの対談集、面白かったです。

 

P77

伊藤 谷川さん。私、このところずっと考えてたことがありまして。

谷川 考えてたって、詩の話?

伊藤 じゃなくて、つまり日常的なウソと、人生でついている大っきなウソ。そういうのは人格形成なんかに、どう影響を及ぼすのかという話なんですけど。

谷川 ウソなんて、誰でも細かいのはいっぱいついてるよね。

伊藤 え、そうなんですか。私の場合、とても世間には言えないウソを一個、ついてるんですけど。一個……いえ、二個かな。

谷川 よく考えたら四個だったりして(笑)。

伊藤 四個か五個なんですけどね(笑)。それはともかく、私の場合は日常的なウソは一切つかずに……ウソつくと挙動不審になるんで、基本的にダメなんですよ。でもね。ちっちゃいのじゃなくて、バーンと大きなヤツをついている、ついていた、と言うか……。私ね、いろいろと若いときに苦労したんですよ。精神的な、性格的なものでね。

谷川 うんうん。詩人になりたての頃って意味?

伊藤 もう少し前からかもしれない。で、あちこちでぶつかって苦しんだ、その理由は何だったのかって考えてたんですよ。私、真面目ないい子だったし、ひとりっ子で親は可愛がってくれたしね。お父さんなんかものすごく面白くって、ファザコン娘を標榜してましたから。なのになんで私、こんなにいろんな問題を抱えたのかなあって。それで、よーく考えたらね……ウソがひとつあったからかもしれないって、思い至りました。

谷川 一個のウソってこと?

伊藤 一個の大きなウソがあって、そこから枝葉を広げた木みたいに。

谷川 いつ頃からウソついてたの?

伊藤 それはですね、私自身じゃなくて、家族にあったんです。ウソと言うより、「隠す」っていう行為だった。「ウソ」と「隠す」って同じように後ろめたいと思うし、隠すっていう行為をみんなでしちゃってたんで。

谷川 家族中で隠しちゃったっていう意味?

伊藤 はい。それが何かっていうと、私の父が、全身に刺青入れてたんですよ。

谷川 へえ、本当?写真、残ってないの?

伊藤 ないんですよ。父は絶対によその人に見せたくなかったのね。誰にも見せない、知られないって、父と母と私の、家族の絶対的な秘密、みたいに。

谷川 はっきり「誰にも言っちゃダメ」って言われてたの。

伊藤 言われてました。私が最後にそれを見たのが、父がお棺に入る前。納棺師さんにちょっと待ってもらって。刺青って、時間が経つと色が褪せるんですよ。しかも老いて死んだ人の、しわしわの死んだ皮膚の上で色褪せてるわけで。

谷川 それを見てるわけだ。

伊藤 見たんですけどね。今となっては絵柄が思い出せなくて。写真撮っときゃよかったんですけどね。・・・

 

P169

伊藤 若い詩人だった頃、詩人の倫理観みたいなものを年上の詩人たちに、阿部岩夫さんとかなんですけど、教えてもらったなあという記憶があるんですよ。それでこんなに抵抗があるのかな。谷川さんが戦争詩を書かれるんだったら、大江満雄みたいな艦船に象徴させるようなスタイルでしょうか。

谷川 とんでもない。『へいわとせんそう』って、わりと評判のよかった絵本があるでしょ。すごく抽象的な形で絵が描いてある、あの感じなら戦争詩が書けるんじゃないかと思うんだけれどね。それならひとつの詩の中で、反戦と戦争と両方が書けるじゃん。どっちかだけを書くってことがおかしいんですよ。

伊藤 なんでです?

谷川 だって、詩はメッセージじゃないんだから。人間にリアリティをもたせるなら、片一方では戦争をがんがんやって、もう片方は戦争反対でって、両方を書かないとおかしい、本当はね。それが難しくてみんな書けないんだろうけどね。だからオレは、絵本なんかに逃げる。

 ・・・

伊藤 ・・・みんな、メッセージが詩にあるべきだと思っていません?

谷川 そう、みんな思っているだろうね。オレは思っていないよ。メッセージがあるにしても、それをいかに一番深いところに隠すかってことを考えますけどね。

 ・・・

 ・・・リアリティってことばももう使い古されていてね。だからオレ、この頃は「事実」と「現実」と「真実」というふうに、分けて考えるんですよ。そこの関係がね、うまく書けないんです。

伊藤 事実はあったこと、起こっていることでしょう。現実は、今ここにあること……。

谷川 じゃなくて、誰かが現実だと考えていること。

伊藤 では、真実は?

谷川 もっとうーんと奥の方にあって、古今東西変わらないものなんだけど、今の時代ではみんななかなか見つけられないもの。簡単に言うと、赤ん坊が生まれたってことは真実で事実で、同時に現実なんでですよね。本来は三つが重なっているはずなのに、今はどんどんそれが分かれちゃってる。

 ・・・

 ことばにすると真実から離れてしまう。ことばの上にもう一度、どうやって真実を再構成できるか、みたいな話だと思うんだよね。・・・

 ・・・

 ・・・意味はなくちゃ困るものなんですよ。オレ、意味だって大切にはしてるから、ちゃんと詩に書いてるじゃないですか、意味あることを。だけども、同時に無意味の方がずっと実際の存在に近いと思っているんです。

伊藤 あー、なるほど。さっきの「ことばを発した瞬間から、真実や現実から離れる」のお話ですね。

谷川 うん、だからどんないい詩を読んでも、どうしても意味がそこに入ってきてるでしょ。それで深いものもあるんだけど、もっと究極のところは存在にいきたいわけですよ、詩というものは。でもなかなか難しいから、ときどきすごくナンセンスなものを書いてみて、ああ、この方が存在の手触りがあるな、みたいなことを感じたりするの。