いちむらみさこさんのお話が印象的だったので、こちらの本も読みました。
P2
なぜ家を出てホームレスの暮らしをしているのか?この質問をわたしは何度も投げかけられる。これに答えるのは難しい。家を出る前の嫌なことや苦しかった記憶の中から、さてどれを選ぼうか、とあれこれ思いださなければならないからだ。
そこでわたしはこう答えるようにしている。こっちの生活のほうが可能性があるからだ、と。ホームレスの暮らしがユートピアなわけではなく、嫌なこともたくさん起こるけど、なんというか、ホームレスでいることで、大事なものを手放さなくていいような気がするのだ。
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ほかのホームレスは、しかたなくホームレスになっているけど、あなたはホームレスでいることを選んだのではないの?という質問も多い。そうですよ、わたしは自分で決めたよ、と答えてみる。しかたなく、というのは、むしろ前の暮らしのほうが当てはまる言葉だ。しかたなく働いて、しかたなく人と競争して、しかたなく家賃を払って、しかたなく生きていた。屋根があり、トイレ、水道、ガス、電気があるという点で便利だったが、その暮らしを維持することは簡単なことではなかったし、ほかに何かもっと豊かな暮らし方があるのではないかと感じていた。
P12
どこから説明すればいいのだろうか。公園のテント村に住みはじめた2003年には、まさか自分がここに20年も暮らしつづけるとは考えてもいなかった。気軽に住みはじめたというわけでもなく、それまでの暮らしよりも、テント村のほうがずっと希望があると感じてこの暮らしに飛びこんだ。
生きていくためには、決められた時間働いて、それで賃金を得なければならないと考えると、心が沈むようだった。そういった賃労働では、競争をあおられ、より「上」をめざして生きていくこと、成長していくことが価値のあることとされているようだった。・・・
・・・テント村では、街で毎日大量に廃棄される食べ物や不用品を集めてきて、それらを分けあい、さまざまなアイデアで暮らしを豊かにしていた。・・・
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もちろん、テント村のほかの住人がみな、わたしと同じような理由でここでの暮らしに至ったわけではないと思う。・・・体力的にも精神的にも疲れはてて命からがらこのテント村へやってきて、ここに小屋をつくり、余った食べ物や服や物を分けてもらい、自分の寝場所をつくって生活を立て直し、だんだん元気になっていく人に、わたしは何人も出会ってきた。死のうと思っていたところをこのテント村にたどりついたとか、どうやってここに来たのかまったく覚えていない、と話す人もいる。
生活が困窮している場合、地域の福祉制度を使ったり、年金や保険、生活保護などの給付を受けたりして暮らしていく選択もあるだろう。しかし、たとえば生活保護制度を使う際に、家族や親族に行政が連絡して、その人の面倒をみることができないかと聞かれるなど、本人が望まない扱いを受けることもよくあるし、たとえ生活保護を受けられても、お金をどう使うか完全に自由ではなく、生活のしかたを制限されてしまう。それよりも自らの方法で自分たちは生きられる、人間はそんなものじゃないと、生きることを実践しているのがテント村だと思う。もちろん、助け合いがあっても、みんなが仲がよいわけではないので対立も起こるし、いろいろと問題も多い。それでもここに住みつづけたいという人がほとんどだ。
帰るべきところとされている「ホーム」から出てわたしはホームレスになり、ここに住んでいる。
P30
ジュンコさんは、テント村で最も生き生きと暮らした女性のひとりだ。髪はキャラメル色で時々ミニスカートをはいて、毎朝、公園のごみ箱の中をのぞいて、何かないか探していた。いや、ごみ箱の中の世界を探検していたのかもしれない。木製の落としぶたに彫刻をしてレリーフを製作したり、エレキギターをガシャガシャと奏でてみたり、ある時は青い振り袖を着て自転車に乗って街に出かけていった。土にみかんの皮や光る物を混ぜいれて植物を植え、「研究をしている」と話していた。彼女は占い師でもあり、石でできた手づくりのカードを使って仕事をしていた。わたしはジュンコさんのバイタリティーあふれる生活っぷりに目を奪われていた。夜になると、彼女の小屋から叫んでいる大きな声が聞こえてきた。幻覚や幻聴とつきあいながら暮らしているようだったが、テント村にはこのように大きな声で叫ぶ人はほかにもいたので、近所の人たちはたいして気にしなかった。何度か入退院をくりかえしていたが、管理事務所の職員が公園を出ていくよう強く説得し、とうとう彼女は施設へ行くことに決めた。
しばらくして、施設に住むジュンコさんが絵を描く会に遊びに来た。薬を服用しているためか、すっかり別人になったように静かだった。「ここはいいところよ」と、まわりの木々を見て深呼吸をしながらしっとりと言っていた。・・・施設での暮らしは食べ物や天候などに悩まされることもなく、困らないが、何もやる気が出ないと話していた。人が生きるということはどういうことだろう。・・・
P87
わたしはわたしに帰るために家を出て、ホームレスで暮らしている。
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・・・テント村で暮らし、不要とされた日用品や衣類など、ごみとして毎日捨てられる大量の物をお金を介さずに分けあうつながりを広げようとしている。それは、今の社会の経済のサイクルから少しでも距離をとりたいからだ。
・・・最近の環境問題を考えると、不用品をごみにするよりリサイクルするほうがはるかに気分がいい。
P110
わたしがテント村に暮らしはじめるずっと前、わたしは今より貧しかったし、生活は苦しかった。家賃を払うために月末は食費を削ることになる。・・・節約する時は、まず食費からだった。・・・
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炊き出しの列に並ぶということをその頃に知っていれば、どれほど助かっただろうか。でももしかしたら、炊き出しに頼って自力で解決できない自分を責め、やはり食べないことにしていたかもしれない。・・・
また、食べたいという欲求と、おいしいという感覚は、別の回路を持っている。どんなごちそうでも、居心地の悪い場所で食べるのでは、おいしいとはなかなか感じられない。
ある時、学会に呼ばれてわたしの野宿の経験を話す機会があり、発表のあとで会食に招待された。きれいなお皿に載せられた料理はとても豪華だった記憶があるのだけれど、慣れない場で落ち着かないためか、ほとんど味がしなかった。ところが、同じような食べ物でも、ちがう環境だと味わいがまったく変わる。ある日の夜遅く、テント村にドレスやタキシードを着た人たちが現れ、「パーティーで余ったから」といろんな料理がごちゃっと盛られたプラスチックの大皿を置いていった。テント村のみんなが集まって、野菜を肉で包んだ料理や、チーズを挟んだ鶏のささみの揚げ物や、うずらの卵、トマトやアスパラガスを刺した串など、突然ごちそうがやってきたことに興奮しながら、お箸でつついて「これはなんだ」「どう?」「ふむふむ、うまい!」などと言いながら食べるのはとても楽しく、おいしく感じた。
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食事を「おいしい」と感じられるのは、自分にとってはどんな時間や環境なのだろうか。一食ずつ味わいながら探っていこうと思う。
P134
わたしの中にあるもやもやとしたものが内側で静かに爆発して、外側に出てくると、それはだいたい視覚的なイメージだ。子どもの頃、わたしはよく椅子の下に隠れ、部屋の中にある日用品を並べて、物語が始まるイメージを空想して遊んでいた。そんな時、わたしにはそれがはっきり見えているが、世界からはわたしがつくったものを見ることはできないと感じていた。絵を描く時は、わたしはすべての世界から立ち去って、画用紙の中につくった空間に入っていくことができた。いじめられた時は、ひとりでいられる場所を外でも家の中でも探して、ものをつくっていた。あるいは、近くの川に行って、流れてくるものを岸に引きあげ、ボロボロになった電化製品やプラスチック容器などを解体したり、別のものにつくり変えたりしていた。世界にはその目的や意味を見いだせないだろうが、わたしにとっては重要なことだった。・・・
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絵のフレームを超えて、作品をつくりはじめる。テントを持って旅に出る。個人的なテーマで旅をして、出会う会話や土地の歴史、風景をばらばらに断片的にとらえ、日記を書き、スケッチし、拾ったりもらったりした要素のかけらのようなものを並べて残していく。それが世界を思考するわたしの方法だった。
ところが、生きるためには賃労働をしなければならないことになっていて、それがわたしの精神を苦しめた。より生産性を高めて競争するためにわたしの身体は壊れ、孤立していった。・・・
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・・・テント村と出会って、その世界から抜け出すことができた。・・・ここに自分のテントをたてて、ようやく気がついた。窒息しそうなほどわたしを苦しめたのは、想像力が死ぬことだったのだ。
