おばあさんの魂

おばあさんの魂

 「おばあさん」と呼ばれる年代の、いろんな方が話題になっていて、興味深く読みました。

 「来るべき大おばあさん時代」とは、これからおばあさんの人口比率が高くなるはず、という話なのですが、そうか、そうなるか・・・と言われてみるとちょっとびっくりでした。

 

P9

 今の世に目を転じてみれば、人々は皆、「おばあさん」的な存在を希求しているように見えます。おばあさんは、どこまでも優しく、我々を包み込んでくれます。お母さんであれば怒りだすようなことも、おばあさんであれば許してくれるし、いつまでも微笑みを浮かべている。「そのままでいいんだよ」的な、人格全肯定フレーズが乱用される昨今ですが、それは、ああしろこうしろと言わず、常にニコニコと見守ってくれるおばあさんを欲している人々が多いからこその流行なのではないか。

 おばあさんは、優しいだけではありません。長い年月を生きてきた分、人生に役立つ知恵も持っています。おばあさんの口から、時折含蓄のある言葉がポロッと漏れたりすると、私達は「おお……」と、ありがたい気分になるものです。

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 瀬戸内寂聴先生、佐賀のがばいばあちゃん、沖縄のオバア等、人々は今、有名無名を問わず、高齢の女性すなわちおばあさんに、救いを求めています。このおばあさん人気は、どこから来るものなのか。おばあさんが持つ力とは、何なのか。これからしばらくそんなことを探りつつ、来るべき大おばあさん時代に備えてみたいと思っております。

 

P116

 実は私は、瀬戸内寂聴さんにお目にかかったことがあります。それは私が『負け犬の遠吠え』という本を出した頃のこと。源氏物語のこと、負け犬のことなどを、対談させていただくという幸運を得たのでした。寂聴さんから、「同時に複数の男との恋愛はしないのか」と聞かれた私は、「バレたら困るだろうなと思うとできない。いっぱい皿回しをしているようで」と答えると寂聴さんは、

「皿回しにくたびれたから私、出家したのよ。初めて言うけど」

 と、笑っておっしゃったのでした。興味しんしんの私が、

「で、皿はどうなったので……?」

 とお尋ねすると、

「ハハハ、棒の先から落ちた人がいっぱいいるわね」

 と、さらに明るくおっしゃった。

 こういうところに、私達はしびれるのです。聖性と〝性〟性とを両方持っておられるおばあさんの、何と頼もしいことか。

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 瀬戸内さんと前後して、私は田辺さんにも対談でお目にかかったことがあるのです。・・・

 ・・・関西の田辺さんのご自宅に向かった私の胸は、緊張と興奮で高鳴りました。しかし、可愛いわんちゃんやぬいぐるみ達とともに迎えてくださった田辺さんは、まるでぬいぐるみのような可愛らしさ。皆が憧れる「かわいいおばあさん」とは、田辺さんのような方を言うのだろう、と思います。

 が、当然ながら田辺さんは、可愛いだけの人であるはずがないのでした。・・・

 瀬戸内さんと田辺さんの対談の中に、

瀬戸内「世の中はどんどん変わっていく。とり残されてばあさんくさくなっていくのは嫌じゃないですか。私はそう思ってるけど、田辺さんも常に前へ前へと歩いてる」

田辺「全然違う発想の人の話を聞いた時に、若い頃は『受け付けない』って感じだったけど、そうじゃなくて、『ああ、そこもあるか』という考え方が身についたのはすごくかわったと思う」

 という会話がありました。このやりとりは、お二人の個性をよく表していると思います。「ばあさんくさくなってくのは嫌」な瀬戸内さんと、「ああ、そこもあるか」の田辺さん。タイプの異なる二人のおばあさんが、今も現役で活躍していらっしゃることが励みになるのは、文章を書く仕事をする女性ばかりではないことでしょう。・・・

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 田辺聖子さんは、

「人にかわいがられる、ということは、男・女ともに幸福な徳性だが、かわいがられるだけでは人生の幸せは半分しか味わえない。

 自分が他の人をかわいがることができなければいけない」(『死なないで』「女の子の育てかたは」)

 と書いておられますが、私はお二人と相対しているだけで、久しぶりに「かわいがられる喜び」を得ることができたのでした。それは、何か大きな存在の掌に乗っている感じ。

 

P148

 数年前、私は新聞記事で、伊豆の「友だち村」という共同住宅の存在を知りました。高齢者女性が三十数名で暮らしているというその施設は、とてもお洒落な建築。二〇〇二年に完成した友だち村をつくったのは、七十六歳(当時)の駒尺喜美さんという女性だというではありませんか。

 ・・・一九二五年生まれの駒尺さんは、大学で日本文学の研究を続けると同時に、フェミニストとしての活動をされてきた方。・・・駒尺さんは残念ながら二〇〇七年、八十二歳で亡くなられました。女性のパートナーがおり、養女を迎えましたが、生涯独身でした。

 大阪の裕福な家に生まれた駒尺さんは、男性にモテる青春時代を送ったようです。しかし、結婚生活というものをよく観察してみた結果、

「何や、結婚って要するに飯炊きになることやないか!」

 ということを発見。結婚とは女性にとって、自由を奪われる奴隷的な生活でしかないではないか、と。友達が結婚する時は、

「えっ、〇〇ちゃんがそこまでのアホとは知らなんだ」

 と言ったといいます(『漱石を愛したフェミニスト 駒尺喜美という人』田中喜美子)。

「結婚とは『飯炊きになること』」というのは、当時としては「わかっていても、言ってはいけないこと」だったのだと思います。事実ではあるけれど、それを口にしてしまったら女は幸せになれないから、普通の女性は黙って飯炊きをしていた。

 しかし駒尺さんは、一人の男性に隷属する飯炊きになることを拒否する道を選びました。最後には、同じような立場の女性達が老年期を安心して過ごすことができる「場」をもつくってしまうところに、ただ漫然と独身でいたわけではない女性の姿勢を見るのです。

 

P154

 オノ・ヨーコは一九三三年の生まれで、ということは既に喜寿を迎えており、アラウンド八十歳であることに気付いた時、私は大層驚いたのでした。・・・あの鋭い眼光、黒々とした髪、そして常に胸の谷間を顕在化させながら前衛的なアート活動を続ける彼女の姿勢は、「おばあさん」というイメージとは全く結びつかないのですから。

 また、草間彌生は一九二九年の生まれで、ということは既に八十歳を超えているということに気付いた時も、私は驚きました。・・・

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 アート系おばあさんは、ただ長生きなだけではありません。彼女達は、年をとっても創作活動をずっと続けているのです。たとえばオキーフは、八十代になって絵筆をとることは少なくなったものの、粘土での造形を始めたり。ルーシー・リーは、死の五年前に脳梗塞になるまで、ろくろを回していました。さらに注目すべきは、日本画の二人でしょう。片岡球子は、九十代後半になってもなお、重い石板を彫って版画を作っていました。小倉遊亀もまた、百歳を超えても絵を描いていたのです。

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 私は、自分の中から湧き上がってくるものを外に出し続けるという、アート制作の行為自体が、心身に良い影響を及ぼしているような気がしてならないのです。アートな人々というのは、やらなくてはならないからといった義務感から絵を描いたりしているわけではありません。自然と自分の中から欲求が湧いてくるから、そうしたくて仕方がないから、そうしている。

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 小倉遊亀も、六十代後半の日々を記した自著『画室の中から』において、超人的に多忙なスケジュールの中であっても、古九谷の四方皿を手に入れると、ちょうど送ってもらった見事な富有柿とともに描くことに思い到り、

「この古九谷の冴えた色に富有柿をとりあわせて、想像するだけでも楽しい。明日が待遠い」

 と思っている様子を記している。

 また片岡球子は、九十七歳の時のインタビューにおいて、

「一旦筆が板に付いたら腕が動きますもの。だって手の先で描いているのではないんです。体で描いているのですから」

 と語っています。

 ・・・どの世界においても「そうせずにはいられない」という人こそがスターになっていくわけですが、絵画の場合はより、その傾向が強いのではないか。・・・

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 遊亀は自著に、

「自分の作った観念の中にとじこもって、他を排除して止まぬかたくなさを、老人というのだ。願わくば老人にはなりませんように」

 と書いています。・・・