ビザのためだった資格が・・・

お見合い35回にうんざりしてアメリカに家出して僧侶になって帰ってきました。 (幻冬舎単行本)

 少しずつお坊さんになる日が近づいていく過程は、こんな風だったそうです。

 

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 私が僧籍と呼ばれるお坊さんの資格を取ったのは、アメリカに行ってからのことです。・・・問題となったのがビザと呼ばれる在留資格でした。そこでビザについて色々調べると、あったのです。まさかのお坊さんビザが!

 正確には宗教活動家ビザというのですが、これは寺に生まれ育った私のためのビザではないかと、僧籍を取ることに。

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 ・・・そうして私は僧侶として、サンフランシスコでの生活を再スタートさせたのでした。

 といっても、チップ欲しさにレストランで同僚のウエイトレスとテーブルの取り合いをするなど、僧籍を持っているからといって、実際には何も変わりません。まるでペーパードライバーです。資格はあるけれど、それが生活に関わっていない。

 生活に関わるようになったのは、それから四年後、最初にアメリカに渡ってから五年後のことでした。それが、お葬式だったのです。

 お葬式といいましたが、人間ではありません。ネコちゃんのお葬式です。・・・

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 ネコちゃんを喪い嘆き悲しむ友人を見て、思わず「よかったら、お葬式をするよ」と、言葉が出てしまいました。ペーパードライバーですが、お坊さんの資格だけはあります。・・・

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 そんな私の申し出に友達は喜び、お願いします!と言いましたが、困ったのは私です。後先考えずに勢いだけで言ってしまったけれど、お葬式って、どうやるの?というか、そもそも、手元に何もないんですけど。法衣も、お経本も、お念珠さえない。そんな状態なのに、いったいどの口がお葬式をすると言ったのか?と驚きますが、言ってしまったものは仕方がありません。

 父はどうしていたのかと記憶を絞り出すと、ご門徒さんから連絡が入ると枕経に飛んで行き、その後お通夜とお葬式を勤めていたことが思い出されました。そこで同じようにすることに。といっても、手元には何もありません。とりあえず近所のお花屋さんでお花を買い、友人宅へ向かいます。

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 そこで私はお経さんをお勤めしました。お経本もないのに、です。

「門前の小僧習わぬ経を読む」ではないですが、子どもの頃からお勤めしていた短い偈文を思い出し・・・その偈文で枕経、お通夜、お葬式の全てを行ったのです。短い、短い、お経さんです。

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 ・・・ネコちゃんのお葬式をお勤めした後すぐに実家に電話をしました。法衣、お経本、お念珠などを送ってもらうためです。

 手元に届いたお経本をコピーし、ホチキスでとめ、簡単なお経本を数冊作り、お参りの時には持って行き、一緒にお勤めをしました。そうして迎えた一周忌。・・・友人が言ってくれたのです。「ありがとう」と。「ありがとう、救われた」と。

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「私は今まで、この存在を知らなかった。だから必要だとも思っていなかった。でも、必要。必要だと気づいていなくても、必要な人は他にもたくさんいるよ。お経さんを一緒にお勤めしただけでも、こうして救われたから、お経さんを写す写経でも始めたらどう?」と。

 何でも安請け合いをする私は、お気楽に「オッケー!」と答えました。・・・

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 結論からいうと、私はアメリカのサンフランシスコで、写経をする集まり「写経の会」を始めました。そして、それをきっかけとして、ペーパードライバーではない本当の僧侶にならしめられただけでなく、真実の拠り所があることに気づかされたのです。・・・と、簡単に言いましたが、そこまでの道のりが本当に大変でした。・・・

 では、何がそんなに大変だったのか?

 それは道具、場所、そして私自身の三つです。

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 ・・・足を棒にして、半日もかけてチャイナタウンを歩き回って手に入れることができたのは、筆一〇本と墨五本。予算オーバーで、筆は一〇本しか買えませんでした。硯は?半紙は?と思いますが、道具一つ探すのでさえこのありさま。ほんと、大変!

 場所探しは、もっと難航しました。・・・

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 そもそも、私の条件が厳しすぎたのです。

1.机や椅子などがあり、書くことができる環境であること。

2.せっかく出会えた人たちと、写経の後は一緒にお茶を飲んでおしゃべりしたい。だから、お湯がいただける環境であること。

3.無料。だって、お金がないんだもん。

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 けれどもなぜか「絶対に見つかる」と、確信があった私。何のアテもないのにです。お気楽なのにも、ほどがあります。

 そんなある日の午後のこと、アメリカの母と慕うSママから電話がありました。

「今週末、ブランチでもどう?」

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「写経の会を始めようと思っているんですけど、・・・なかなかないんですよねぇ」

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「うちの店、使えば?」

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「うちの店でよかったら使ってちょうだい。そのかわり、私も参加させてね」

 こうしてあっさり決まってしまいました。

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 道具探しに、場所探し、それぞれ大変でしたが、三つ目の私自身の問題と比べれば、なんでもないことでした。では、私の何が問題だったのか?

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 ・・・意味が、まったくわからないのです。

 たとえば、「南無阿弥陀仏」。

 もちろん知っています、お念仏です。・・・

 けれども、もし「南無阿弥陀仏って何ですか?」と、「写経の会」に来られた方から聞かれたら、答えられないのです。・・・

 そこからです。そこから、仏教と初めて向き合いました。・・・

 ちょうど、その頃のことです。働いていたラジオ局が、建物の老築化により引っ越すことになりました。その引っ越し先が、なんと!まさかのお寺。

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 嬉しい偶然は、まだ続きます。たまたま年末だったので、社長から「新春の特番は、北米開教区の開教総長にインタビューして」との指示がありました。そうして迎えた収録当日。雑談の中で、「写経の会」を始めようと思っていること、でも仏教がまったくわからず、・・・阿弥陀さまって何ですかねぇ~と、何気なく話した私。

 すると当時の開教総長が、困ったような、それでいて心から面白いというような表情で「阿弥陀さまがわからないかぁ」とおっしゃったのです。

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 しかし、次におっしゃった言葉が凄かった。

「お話をしてあげるから、仕事が終わったら、これからはここにいらっしゃい」

 え!ええの?

 そうして、有難くも、贅沢な授業が始まったのです。

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 そうして、アメリカのサンフランシスコで「写経の会」を始めることができたのは、私が渡米して六年後のことでした。・・・