迷える者の禅修行

迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教 (新潮新書)

 ドイツに生まれた著者が、日本で修行し、あるお寺の住職(といっても檀家ゼロで自給自足の)になるまでのお話です。考え方も行動も興味深く、面白かったです。

 こちらは、修行の途中で、日本仏教と自分に絶望しかけ、国に帰ろうか、いやその前にまだできることがあるかも、とホームレス雲水になろうとするところです。

 

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 ・・・もう何もかも捨ててドイツに帰り、そこで小さな坐禅道場を開き伝道活動を開始しようと思っていました。座禅だけが私の支えであり、この坐禅だけを人に伝えたい、強くそう感じていました。

 ・・・

 ・・・そのような修行道場をドイツに帰国する前に、日本に作ってもバチは当たらないだろうと私は考えました。「日本への恩返し」といえば大袈裟ですが、それが今の私にできる唯一のことと考えたのです。しかし、道場を作り維持するとなると、多大な資金が必要です。・・・もちろん私にそんなお金はないし、そのやりくりに明け暮れるつもりも皆無です。

 そこで思い浮かんだのが、「ホームレス」です。

 金がないのなら、ホームレスになればいい。・・・テントで寝泊まりして、野原で坐禅を組めばよいと考えたのです。やるとしたら人の集まる大都会がいい。・・・むしろ人と積極的に関わり、一般人を巻き込んで共に坐ることを目指しました。

 このアイデアを、京都の僧堂で一緒に修行したキチさんに話しました。キチさんは、すでに大阪の寺で住職をしていました。

「ホッさんって、外人のくせにお坊さんの格好をして……、それだけでも十分面白いのに、今度はホームレス。本当に変わっているなあ」

 私には正直、どこが変わっているのか全く理解できませんでした。仏教の親方である釈尊だって、王国の王子という身分を捨て、宮殿を出てホームレスになったのですから。私にはむしろ、葬儀屋の下働きをして、せっせとお経を棒読みしているキチさんのような日本のお坊さんの方が、「随分変わっている」と思いました。

 ・・・

 夜に大阪城公園に着きました。・・・

 ・・・持参したゴザと坐蒲を堀の淵に並べ、一人で坐禅をじました。・・・二時間みっちりと緊張感のある坐禅の後、「お隣さん」にご挨拶にうかがいました。

「お願いいたします。挨拶が遅れて申し訳ございません。昨夜よりお世話になっている者ですが、今後こちらにテントを張ってもよろしいでしょうか?」

 緊張のせいか、僧堂にいるときのような、しゃべり方になってしまいました。

「おお、かまわんよ」

 手に提げていた一升瓶がものをいったのか、上機嫌の返事でした。・・・

「ここは各々、自分の身を自分で守ってんねんで。手助けなんか、余計なお世話なんかせんやろな?」

 この後も、先輩ホームレスの方々から、このような誤解をされることが度々ありました。「あんたは、ホームレスの救済とかいう名目で、この公園に来たんちゃいますやろな」と。もちろん私は、そのような「大きなお世話」をするつもりはなく、ただただ坐禅をしに来ただけです。救済なんて、滅相もない。ただホームレスの先輩として、いろいろ教えを請うために挨拶をしただけです。

 ・・・彼らの多くは・・・それぞれに生活の工夫をして、明るく逞しく生きていました。

 ホームレスを救済?とんでもない。

 ホームレスよりも、毎朝肩を落として駅からビルの群れに向かって急ぐ、サラリーマンやOLこそ救済しなければ―そのように思っていました。