ただ、そこにいなさい

人は死なない。では、どうする?

 去年、ガイドさんから「今ここに居続けること」と言われたことを思い出しました⇒

 スターラインズリユニオン記録1 - シェアタイム

 

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中 ここで、私が聴いた霊聴のお話をしましょう。

 ・・・おそらく一九九五年のことだったと思います。私と妻は、インドの高名な覚者であるプンジャジーに会いに行きました。・・・

 ・・・順番が来て、私たちも「日本から来ました」といったあいさつをしたわけです。

 ・・・

 ・・・しばらくすると、不思議なことが起こりました。急に心が静まり、なんの思考も浮かばなくなってしまったのです。英語でいえば、「ノー・マインド」の境地です。周りがうるさくても、全く気にならない、心にも体にも影響されず、時間が止まってしまったかのようでした。私は、私自身の存在そのものから来る深い安らぎの境地をひたすら味わいました。

 

矢作 その境地はずっと続いたのですか。

 

中 長くは続きませんでした。三時間ほどたつと消えてしまいました。再びそこへ到達しようとしても、できませんでした。そこで私は、その境地にまた達して、それを保持するにはどうしたらいいのかという質問を英語で書き、翌々日、プンジャジーに問いかけてみることにしました。

 ・・・

 ・・・そこでのプンジャジーの答えは、まずこのようなものでした。

 中国に、慧能禅師という禅宗のお坊さんがいます。禅宗を開いた達磨大師から数えて、六番目の祖師といわれるかたです。この六祖・慧能の説法を記したものに、「檀経」という本があります。プンジャジーは、これを読めといいました。

 その後、私たちがインドの仏跡地を巡礼するつもりだと話すと、「ならばサルナートに行け」と勧めてくれました。・・・お釈迦さまが悟りを開いたのち、最初に説法したところとして知られています。そして、そこにある中国寺の本殿に安置されている仏像に、この質問を問いかけよというのです。・・・

 私たちがそのお寺に行ったときには、寺院の入口に中国から来たお坊さんが座っていました。私たちも中国語ができましたから、ちょっと話をしました。そのお坊さんは、四〇年前にヒマラヤを越えてやってきたということでした。しかし、道中、足を悪くしてしまって、その後、思うように歩けなくなってしまったとのこと。そんな話をしてから、私たちは本殿へ入っていったわけです。

 プンジャジーに勧められたとおり、玉仏を拝して問いかけました。しかし、いくら問いかけても、仏像は答えてくれません。なにしろ相手は仏像ですからね。

 ・・・私もいろいろ考えて、妻がいっしょにいるのがいけないのかと考えました。・・・再び一人でチャレンジしましたが……。

 

矢作 答えは帰ってこなかった。

 

中 そうなんですね。・・・そのとき、ふと思いました。実は、先ほど入口の中国のお坊さんに、私たちは両替を頼まれたんです。お坊さんが持っていたのは台湾のお金でした。私たちは台湾に行く予定もありませんし、レートもはっきりわかりません。ですから丁重にお断りしたのです。

 しかし、考えてみれば、あのお坊さんはお金に困っていて、両替を申し出たのではないかと思ったのです。そこで、私は取って返してお金を多めに包んで、お坊さんに両替をお願いしました。お坊さんはそれを受け取って、また一年食べていけると泣いて喜ばれ、私を祝福してくれました。私は、プンジャジーが私をとおしてこのお坊さんを救われたのだと思い、自分の答えが得られなくてもよかったと満足できたのです。

 後は、もう一度お参りして帰ろうと思い、本殿に戻って感謝の気持ちで仏様に三拝し、帰ろうとして立ち上がりました。そのとき、答えが来ました。答えは日本語でした。

「ただ、そこにいなさい」

 という声が、はっきりと聴こえたのです。

 ・・・答えはそれだけでした。それでも、私にはわかりました。ストンと落ちるというのは、こういう気持ちをいうのだなと思います。私は、ノーマインドの境地を保とう保とうとしていました。しかし、その保とう保とうという気持ちも、単なる私のエゴにすぎなかったのです。・・・

 私たちは、常に何かを得たい、達成したい、あるいは保持したい、避けたいと考えており、深い静けさ、つまり平安そのものである「ただ、そこにいる」ことができないのです。・・・

 大事なのはもっと単純で、シンプルなこと。ありのままの自分を受け入れて、分裂や対立のない一つの世界に入っていることです。

 

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中 ・・・そういえば、昔、かわいがってもらった太母さんという日本の覚者のかたに諭されたことがあるんです。心のもつれがほどけることを「ほとけ」になるといい、すべての差が取れることを「さとり」というのだと。