気まぐれな力で企画書作成

自分の薬をつくる

 上手な対処法だな~、すごい、と思いました。

 

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 躁鬱病の私は、激しい気分の浮き沈みが起きます。それこそ、毎日、目を覚ましてみないとわからないんです。だからこそ、日課がとても大事になってくるのです。調子がよくても悪くても、同じ作業をすることで、気分の上がり下がりで左右されないようにしようとしているわけですね。

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 どうやら、人には二種類の力があって、一つはその時その時の気まぐれな力で、その日の体調にかなり左右されます。そして、もう一つが毎日、生活を営む上で必要な安定した力です。日課を作ることで、この力を強めることができるわけです。もちろん、これははっきりした区分けがあるわけではなく、私の感覚に過ぎないんですけど、日課を続けていくと、どんどんこの安定した力をうまく使えるようになっていくような感じがあります。・・・

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 もちろん、これはすべて私の経験で、・・・躁鬱病の私はこの気まぐれな力が非常に強く、・・・やっぱり気まぐれな力も使われたがるんですよね。それは別腹という感じです。・・・

 ・・・その力をそのまま制御もせずに放出していると、そちらは安定している力の方まで食い散らかしてしまいます、だからと言って、気まぐれな力を無視すると、今度は窮屈になって、気まぐれですから、建設的だった力が破壊的に変化したり、否定的になり一切力が出せなくなり、日課も続けることができなくなってしまったりするのです。

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 そこで見つけ出したのが、・・・「企画書を書く」という方法です。

 力自体は放出してあげたい。しかし、その力のままに、振り回されてしまうと自分まで焼き焦がされてしまう。それでももうすでに何かを思いついてはいます。そして、いつでもその思いつきに従っていますぐ体を動かしたいほどうずうずしている、頭にはふと「どうせ明日には飽きてるかもしれない」と浮かんではいます。とにかく気まぐれなんです。思いついたまま行動し、周囲の人を巻き込み、お金も注ぎ込んだ翌日、何か魔法が切れたみたいにやる気をなくしたという経験を何度もしてます。

 ・・・そこで「徹底的に行動するんだけど、絶対に実行しない」という方法が必要となってきたのです。

 企画書というものは、本来、何かを実行するためのものです。しかし、私が書くのは、絶対に実行しないための企画書です。・・・あくまでも実行しないのは「私」なんです。その企画書が本当に優れたものならば、他の人が実行すればいい。・・・

 ・・・企画書ですから、もしも飽きたら、その場で止めたらいいだけです。人も巻き込んでませんし、・・・企画書ですからお金も使ってません。

 でもただの妄想ではないんです。ちゃんと文字にする、どうすれば形になるかを徹底的に考え抜く、こういったことが企画書を書くとできるんですね。そして残ります。いつか実行されるかもしれません(もちろん違う誰かが)。・・・

 この方法は、とにかく誰にも迷惑をかけない、黙ってやってたら勘違い野郎だとも思われない、お金も使わない、それなのに可能性だけは無限大というとんでもない薬です。どうにでも応用できることだと思います。