なんかすごい・・・

死にたくない 一億総終活時代の人生観 (角川新書)

 とにかく辛い状況から抜け出すためとはいえ、こんな風に動ける人って、とても珍しい、すごいことなんじゃないかと思いました。

 

P90

 突然妻が亡くなって、僕は本当にひとりぼっちになってしまった。それまでは僕は、「自由に生きる」「誰とも争いたくないから、ひとりぼっちでいい」と思いながら生きていました。もちろん、その考えはいまも変わらないのですが、妻がいなくなったとき、僕はひとつのことを思い知ることになるのです。

「ああ、僕は『ひとりぼっち』ではなかったんだ」

 その深い喪失感は、僕の想像をはるかに超えて激しいものでした。昼間は仕事を詰め込んでなんとか気を紛らわせるものの、家に帰るとどうしても悲しみが襲ってくる。とくに、夜ひとりで寝るときがつらくて、いつまでも泣いていて眠ることができないし、力尽きて寝てしまっても、朝起きたらまたいつのかにか泣いてしまうのでした。

 自分がこのようにつらいときや、強いストレスに襲われたとき、多くの人は相談相手として、ほかの家族や友だちなどの関係が助けになると思います。

 でも、僕は他人に悩みを打ち明けたり、相手のことに深入りしたりするのが好きではなかったので、関係性の深い友だちを意図的につくらないようにしていました。ちょっと喫茶店に行くくらいの知人はいても、とくに話すこともないので黙って1時間コーヒーを飲んで、「じゃあ帰りますか」と帰途につくくらい。

 僕にはほとんど友だちがいないのです。

 そもそも友だちをつくることが苦手で、競艇場などでちょっと仲良くなりかけても、つい「長く付き合うといろいろ面倒なこともあるだろうなあ」とネガティブな考えになってしまう。そもそも他人なのだから、性格が合わないことは多いだろうし、もし気が合わなかったらずっとしがらみにとらわれるだけじゃないですか。

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 仲間というのは、増えれば増えるほど自由な時間が削られていくものなので、あまり増やすことはしないと心に強く決めて生きてきたのです。

 ただそれでも、前妻が亡くなって、その寂しさに耐え切れそうになかったので、また別の誰かと一緒になろうと決意しました。

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 また、前妻との生活が、自分としては「いい結婚生活だった」と言い切れるからこそ、もういちど結婚したいと思うようにもなれたという面はあるでしょう。ふだんひとりぼっちでいるせいで、逆に妻とのつながりが濃くなっていたのか、「一緒に暮らして、話したり笑ったりしてくれる女性が必要だ」という思いが強くなっていきました。

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 いったんそう考えるようになってからは、僕はそれまでとは別人のように再婚相手を探すようになっていきました。女の人に自分から声をかけるなんて、それまでの人生で一度もしたことがなかったのに、積極的にあちこち顔を出して、片っ端から声をかけまくりました。それまでもらっていたファンレターをすべて読み返し、電話番号が書いてあったら実際にかけてみました。自分でも驚くほどのエネルギーが体の奥底から湧いてきて、あのときほどなにかを積極的にやったことは、いまもむかしもないかもしれません。

 想像もしなかった寂しさのあとに、そんなエネルギーが残っていたなんて考えてもみませんでした。あれほどの孤独と寂しさを打ち破ったのが、自分自身が持っていた力だったなんてちょっとびっくりでした。だから僕は思うのです。どんな人であっても、生きている人間にはとてつもなくポジティブなエネルギーが秘められているのだって。

 そのようにして、いまの妻と出会ったのでした。