「山奥ニート」やってます。

「山奥ニート」やってます。

 テレビで見たことのある、あのシェアハウスの本だ、と手にとりました。

 興味深く、おもしろかったです。

 

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 僕が住んでいるのは、最寄り駅から車で2時間の山奥です。

 もちろん周りにお店はありません。徒歩圏内に他に住んでいるのは5人だけ。

 それも爺さん婆さんばかりで、平均年齢は80歳を超えます。

 そんな限界集落に、平屋建ての木造校舎があります。小学校として使われていたのはもう何十年も前のことです。

 ここに、15人の若者が暮らしています。年齢は10代から40代。女性もいます。

 僕はそのうちのひとりに過ぎません。

 全員、元はここに縁もゆかりもなかった人たちで、全国各地から別々に集まってきました。

 始まりは、ひとりの爺さんの夢です。

 過疎が進む自分の故郷に、ニートやひきこもりなど社会に居場所がない人を集めて、共同生活をさせる。

 僕はそれに共感して、その第一号になることにしました。

 当時、僕は立派なひきこもり。

 浪人、留年、中退と三重の親不孝を重ねて、その挙げ句ひきこもり。

 バイトすら上手くできなくて、この社会ではどうにもやっていける気がしない。

 社会の歯車にもなれない僕に、生きる価値がない。

 こんなクソみたいな世界、早く滅びないかな。そう思って過ごす毎日。

 そんなときに、山奥にニート・ひきこもりを集める計画を知りました。

 自分を必要としない世界なんか、こっちから願い下げだ。

 自分で、新しい世界を作ってやる。

 僕はこの世界を捨てるつもりで、彼女も贅沢も人との繋がりも諦めて、山奥に住むことにしました。

 ところが、それから6年経った今、僕には妻がいます。

 お金はありませんが、ひきこもりのころよりずっと良い食生活をしています。

 街からは遠く離れているけれど、人との繋がりは強くなりました。

 山奥では人間が少ない分、大切にされます。換えがないのです。

 地域の爺さん婆さんに出会うと、あいさつするだけでいつも喜んでくれます。

 僕に「いてくれてよかった」とさえ言ってくれるのです。

 一緒に暮らしている14人には、どこかしら僕と似たところがあるように思います。

 みんな暇だから、遊び相手には事欠きません。

 すべてを捨てたつもりだったのに。

 やっていることは、ひきこもりだったころと同じなんです。

 アニメ見て、ゲームして、SNSして、寝る。

 ある意味では、僕はまだひきこもったままです。

 村おこしとか、ビジネスを立ち上げるとか、そんな能動的なことはしません。

 ただ、ひきこもる範囲は自分の部屋から、この集落に広がりました。

 今の僕は限りなく自由です。

 気を抜くと、ふわりと地面から浮かんでしまいそうなくらい。

 都会の勤め人から見たら、僕は幽霊なのかもしれません。

 経済活動をほとんどしていないし、社会を変えるため行動してるわけでもない。

 居ても居なくても同じなような、透明な存在です。

 でも、僕は毎日楽しいです。朝は寝床でグーグーグー。学校も試験もないですから。

 この本は、そんな僕らの今をどこかに記録しておこうと思って、書いたものです。

 山奥ニートは企画やアートじゃありません。

 だから何かの宣伝だったり、何かのメッセージがあるわけじゃないのです。

 これはただの生活。

 ごく凡庸な、人間として当たり前の営み。

 最近の世の中、見せるために作ったわかりやすいものばかりです。

 ヒットする法則は解明されていて、みんな検索されやすい言葉を選んでる。

 でも僕らは、お店に並ぶきれいにパッケージされた商品ではありません。

 たまたま自然に作られた、だけど人によっては何かの形に見える、ただの小石です。