プロになってから19戦19勝無敗だそうなので、そんな中、自信を過信に変えないというのは、想像以上に難しい?あるいはそういう中でずっとやってこられたら、一般人の想像とは全然違うのかな?と思いつつ読みました。
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プレッシャーは好物である。
・・・
「今度は何ラウンドKOですか?」
「何秒で倒しますか?」
もうそれが挨拶のようになっている。ならば「どんどんかけてください」という気持ちがある。プレッシャーに潰される性格ではなく、それで盛り上がるならプレッシャーは力に変わる。
しかし、周りからかけられる言葉、プレッシャーは、無意識のうちに頭のどこかに埋め込まれていく。謙虚さを忘れ「今度も早く終わらせたい」との欲が出てくる。
自信は確信に変わることもあれば、過信に変わることもある。自己を過大評価してしまう。これを驕りと言うのかもしれない。
驕りは、スパーリングでも顔を覗かせる。「倒せるよ!」という過信が強まってくる。
今、やらなければならないボクシングはそれではない。頭では理解しているつもりだが、肉体は、そういう風には動かず、強引に〝上から目線〟で、倒すことだけを考える乱暴で知性の欠片もないスパーリングをやってしまう。
ロドリゲスとの決戦を前にした2月の公開スパーリングだった。
井岡ジムの石田匠選手を横浜に招いた。メディアが多数いたこともあって、僕は、本来すべきことを忘れて、ムキになっての一発狙い。強引に倒しにいった。父からすれば、それは「尚のスタイルではない」と映ったらしい。練習が終わると、いつのまにか、父は、ジムからいなくなってしまっていた。
いつもなら、スパーの内容について反省、指摘があるが、無言で去った。それが何を示しているかは理解できた。僕のスパーに驕りが見えたのだ。
僕は父にラインした。
「納得できないスパーをしてごめんね」
すぐに返信がきた。
「難しいことじゃない簡単だよ。初心に戻らないと」
・・・
「打たさずに打つ」ボクシング。それが、父と、幼い頃から積み上げてきた井上尚弥のボクシングである。根本に染みついているし忘れたことはない。だが、心技体のバランスが崩れ、パンチが雑になっていた。
・・・
実家の部屋には、こんな張り紙がしてあった。
「言われた課題をスパーで修正できなければやめさせる」
やめさせるとはボクシングを辞めさせる、引退させるという意味だ。
やみくもに倒すことに意味はない。
それはただの自己満に過ぎない。・・・
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自信は大事だが、それが過信になれば、諸刃の剣となって、自分を見失い、ボクシングを壊すことになる。それを人はスランプや不調と呼ぶのかもしれないが、それをコントロールするのは自分しかない。ボクシングがメンタルスポーツと呼ばれる所以である。・・・