角田光代さんのエッセイ

世界中で迷子になって (小学館文庫)

お盆に飛行機に乗ったので、その前に空港で何か読む本を探しました。
そしたら旅のお供にぴったりな「おトモ文庫」というのが小学館から出ていて、角田光代さんの新刊「世界中で迷子になって」が目にとまりました。
なんとなく角田光代さんの本は、いつでも読める気がしてまだ手つかずだったのですが、エッセイ面白い!
というかご本人が面白い(笑)
たとえば…

P200
 ボクシングジムに通いはじめて二〇一一年の今年でちょうど一〇年になる。と言うと、多くの人が「えらい」と言ってくれる。続けていてえらい、という意味だ。
 さらに、ランニングをはじめて三年半になる。と言うと、またまた多くの人が「すごい」と言ってくれる。続けていてすごい、に加え、ボクシングにランニングなんて健康的ですごい、という意味だ。
 たしかに私も、身近な友人、しかも四〇歳を超えている友人がボクシングジムに通っていると言ったり、ランニングをしていると言ったりすれば、「えらい」「すごい」ときっと言うだろうけれど、なんというか私自身は、えらい、ともすごい、とも、かけ離れたところにいる。
 そもそもボクシングは三二歳のとき失恋して、三〇代でも失恋することがある、そのことに打ちひしがれ、きっとこの先、四〇代、五〇代になっても失恋することはあるのだろうから、心身ともにそれを乗り越えられるよう強くなろう、と思ってはじめたのである。本当はスポーツクラブに通いたかったのだけれど、徒歩圏に存在するのが、ボクシングジムだけだった。そして徒歩圏でなければぜったいに続かないことはわかっていた。
 ・・・
 もう心身なんか強くならなくていい、みっともないし恥ずかしいし、やめてしまおう。と私は考え、いやいやそれじゃこの先何度か体験するであろう失恋に打ちのめされる、と考えなおし、そうして私がとった行動とは、マイグローブを買うことだった。
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 あのときグローブを買ったからこそ私はやめなかったのだが、あのときやめなかったから、やめどきを見失いもした。私にはわかりやすい目標がない。何キロ痩せるという目標も、対戦をするという目標も、特定のだれか(たとえば失恋させた人)を打ち倒すという目標も、なんにもなく、ただ「いつかきたる失恋に打ち勝つ心身を養う」という、曖昧すぎて目標にならざる目標があるのみ。
 わかりやすい目標があれば、達成とか挫折とかがある。それらはやめる理由になる。が、果たして失恋に打ち勝てる強い心身になったかどうかわからないから、やめるきっかけが、ない。そして四〇代になって結婚もしてみれば、打ち勝つのは失恋ではないだろうという気もしてくる。じゃ、何か?更年期障害?老い?などと考えもするが、まだわからない。ますます目標らしき目標は遠ざかる。