嫌いな人がいてもいい

麹町中学校の型破り校長 非常識な教え (SB新書)

「みんなと仲良く」という圧力についてのお話。

 この話の前提に、心の教育の問題点について語られていました。

 

「『良い心』にこだわるとは、『心と行動が一致した状態』を求めます。もし『良い行い』をしてもそこに『良い心』がなかったら、それは『偽善』になってしまうのです。電車で老人を見かけても席を譲らない人たちのなかには、周囲から『偽善者』と見られるのが怖いから席を譲れない人もいるでしょう。

 しかし、孔子の言葉の通り、『心と行動が一致した状態』はそもそもレベルの高い状態です。心の澄み切ったピュアな人間などほとんどいません。できもしないことを理想に掲げて、それに振り回されているのが私たちなのです。」

 

 「偽善者」と見られるのが怖いという感覚、・・・私の受けた昭和の教育では偽善者だろうがなんだろうがそうしないと怒られるという感じだったので、これは私より若い世代だと思いますが、ちょっとびっくりしつつ、なるほどと思いました。そしてこの校長先生の「できもしない理想は掲げない」という方針は、とてもいいなと思いました。

 

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 ・・・ある日のこと。当時4歳だった下の息子が突然、幼稚園に行きたくないと言い始めました。直感的に「これは嫌いな子ができて、それが許せないのだろう」と思いました。

 妻にも幼稚園の先生にも「優しい人間になりなさい」と言われながら育っていますし、下の息子は体が大きくて力持ちだったので私も息子に対して「君が周りの子に手を出してしまうと怪我をさせちゃうから、優しくしてね」といつも教えていました。そういう言葉が積み重なって、いつのまにか「心の教育」をしていたのだと思います。

 そこで私は息子と話をしてみました。・・・

 ・・・「・・・実は、お父さんも君にいわないといけないことがあるんだ。お父さんもね、嫌いな人がいるんだよ」

 予感は的中しました。「え?お父さん、嫌いな人いるの?」と驚く息子。

「いるよ。お母さんも嫌いな人いるんだよ」

「え、えっ?お母さんも⁉」

 ますますびっくりする息子に対して、続けてこういいました。

「でもね。お父さんもお母さんも嫌いな人はいるけど、その人にいじわるはしないよ。ちゃんと挨拶もするし、普通に一緒に仕事をしたりするんだよ。だから、君も嫌いな人がいてもいいんだ。その子に嫌なことをしなければいいだけだから。別に無理に優しくできなくてもいいから」

 すると息子は安堵の表情に変わり、幼稚園に通い始めました。

 ちなみに今の話は生徒たちにもよくします・・・心のなかは変えられないから、私のように年をとっても嫌いな人はいる。でも嫌いな人にいじわるしたいとは思わないし、いじわるしたら恥ずかしいと思う、といった話をするのです。反応は私の息子とだいたい同じで、「え?そういうものなの?」という表情をする子が大半です。

 もちろん、こういう話をすると子どもたちが「じゃあ先生は仮面をかぶって私たちと接しているのかな」と疑いの目を向ける可能性をはらんでいますが、そうかといって「みんなと仲良くしような」と理想論だけを語って子どもを欺くのもどうかと思うのです。