しょぼい喫茶店の本

しょぼい喫茶店の本

 本屋さんで目について読んでみました。

 お店自体はこの間閉店してしまったそうですが、「しょぼい喫茶店」を開くまでのいきさつや、さまざまな経験はとても興味深かったです。

 

P30

 僕が辛いのは、結局、自分はできるかもしれないと思っていたからだ。・・・

 ・・・今まで僕が普通と思ってきたものは、誰が決めたわけでもなくて、他ならぬ僕自身が勝手に普通だと思い込んで決めつけていたものだ。

 それから僕は、自分に期待するのをやめて、だめな自分はだめな自分なりにやっていこうと思った。

 ・・・

 それから僕はphaさんの本やブログを読みあさった。読めば読むほど凝り固まった思考が解きほぐされて、自由になっていく気がした。嫌なことはしなくていいし、それでも生きていける。社会に必要とされる人間になるために自分を変えなくてもいい。・・・

 ・・・

 気持ちはすごく楽になっていったけれど、その分現実的な問題が浮き彫りになった。

 僕はニートにはなれない。

 phaさんの本やブログを読んで、こんなふうに生きてみたいと思ったけれど、その気持ちが大きくなるにつれて僕にはできないという気持ちも大きくなった。憧れは僕を幸せから遠ざけていくようだった。

 まず、働かずにどうやって生きていくんだ?という問題があった。phaさんはもうネットで有名なので、そこから仕事をもらったり本を書いたり、Amazonの「ほしい物リスト」を公開してそこから食べ物をもらったりしている。それに比べて僕は一介の大学生だ。誰も仕事を振ってはくれないし、ほしい物リストを公開したところでどうなる。「ニート始めました」なんていってブログやTwitterを始めてみても、誰も興味を持ってくれないだろう。「就職できなかったのでニートします、最後まで恥をかかせてしまってすみませんでした」なんて言って家族と縁を切るのも難しい。

 そもそもニートという肩書きは、けっこう精神的にしんどいものがある。本当に困った僕はいろんなことを考えた。フリーターになる、地元の友達とシェアハウスを立ち上げる、海外を放浪してみる……どれもこれも僕にはできそうになかった。大学院に進むことも少し考えたけれど、これ以上、親にお金をかけさせてモラトリアムを延長するわけにはいかない。

 あーだこーだと悩む日々が続いた。就職はしなくても生きていける、この世にはたくさんの生き方がある。ただ、自分がどんな生き方を選んだらいいのかわからない。自由に選べるというのはすごく怖いことだと思った。すべて自分で責任を取り、すべて自分に返ってくる。何も動き出すことができず、ただただ自由であることの重みを感じていた。