天才たちの日課 女性編

天才たちの日課 女性編 自由な彼女たちの必ずしも自由でない日常

 こちらは「天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々」の続編です。2冊とも興味深かったです。どんな内容か、訳者あとがきにまとめてあったので、ご紹介します。

 

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 メイソン・カリーの前著『天才たちの日課―クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』は百六十一人の天才たちの偉業や業績や後世への影響を書き記したものではなく、彼らの日常を紹介した作品で、じつに面白い。とくに偉業と日常のギャップがおかしい……だけでなく、それぞれに個性的で、さらに、われわれ凡人になんらかの教訓を与えてくれそうなものもあるが、そうでないものもある。とにかく発見と驚きと納得の三拍子がそろった名著で、売れ行きもよかった。

 ところが、この本を「欠陥本だ!」と主張する人物が現れた。著者のメイソン・カリー自身だ。・・・簡単にいってしまうと、『天才たちの日課』で取り上げた天才百六十一人のうち女性が二十七人しかいないというのだ。そこで今回は、対象を女性に限ってみたという。その結果、本書は前作よりはるかにドラマチックなものになった。というのは、ここに取り上げられている女性のほとんどは、「女性による創造的な活動が無視されたり否定されたりした時代に育っている」からだ。

 それにしても、前作同様、・・・ちょっとはさみたくなる言葉が次々に出て来る。

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「ずっと昔にどこかできいた話だが、エル・グレコが死んだあと、彼のアトリエで新品のカンバスが見つかり、そこにはたったひと言、『満足できるものはひとつもない』という言葉が書かれていたという。私は彼の気持がわかる」(マーサ・グレアム)

 ほかにも、さらに感動的な言葉や、思わずうなずいてしまう愚痴や、日常に埋没しているわれわれをほっとさせてくれるような言葉や、そんなわれわれを駆りたててくれるような言葉が出てくる。この本にはまさに、百四十三通りの試行錯誤から生まれた言葉が詰まっている。・・・