ただ、すごいなあ・・・と、そして夫婦とか家族って、なんとも不思議な関係だなあと思いました。
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文・谷川俊太郎、絵・三輪滋『おばあちゃん』(ぱるん舎)という絵本には、おむつをしてもらい、ごはんも一人では食べられない「おばあちゃん」のことが描かれている。このため家族が大変な思いをするなかで、「ぼくは もしかすると おばあちゃんは うちゅうじんに なったんじゃないかと おもいます」。このような「うちゅうじん」との間に、心の交流はあるのだろうか。
私の知人の女性で、八十歳くらいの夫が脳神経の病気のため、谷川さんの絵本にあるような状態の方がいる。何とか助けを借りつつ介助をしているが、どこまで認識があるのか、言葉もほとんどないのでわからない。
そのような夫の介護のときに、寝ているのを抱き起こしながら、「しっかりせよと抱き起こし」と、昔によく歌っていた「戦友」の歌詞を冗談半分で口ずさんだ。「戦友」の歌は年輩の人なら知っている人が多いだろう。「ここはお国を何百里/離れて遠き満州の」ではじまる歌で、戦死した友を葬うものだ。友が銃弾に倒れたところで、「しっかりせよと抱き起こし……」と続くのだが、夫人は夫を介護しながら、何気なく、その続きを歌っていた。
「折から起こる突貫に/友はようよう顔あげて/お国のためだ構わずに/遅れてくれなと目に涙」
ここまできたとき、それまでまったく無表情だった夫の目に滂沱として涙が溢れ出てきた。夫人は思わず夫を抱きしめたが、夫の涙は激しい嗚咽に変り、二人は抱きあったままで嗚咽した。二人の間に温かい何かが伝わった。
この話をお聴きしたとき、私は体中がじーんと反応し、一言も話せなかった。・・・こんなとき、私は「心」というよりは「たましい」と呼びたくなる。・・・心も体も超えて、人間の存在にいのちを与えているもの、それを「たましい」と呼んでみてはどうだろう。・・・
夫婦の絆にはいろいろなものがある。しかし、それらのなかの重要なものとして、友情ということがあると思う。そして、それは共に人生を戦い抜いてきた「戦友」として感じられることもあるだろう。・・・