二人ならできる

人生、山あり時々谷あり

 田部井淳子さんの本、続けて読んでみました。ここは夫について書かれていたところ。何かにチャレンジしようと思うと、周囲の理解やサポートがあるかどうかが、とても大きいなと思いました。「一人ではできなかったことが、二人でならできる」ってすごくうれしいことですね。

 

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 夫・政伸は、戦中生まれの男性としては、まれにみる自由な考えの持ち主でした。私が子育てと山登りを両立できたのも、ひとえに夫の支えがあったからです。

 政伸は群馬県前橋市の出身で、高校生のころに結核性カリエスを患いました。一時は寝たきりの生活を送っていたのですが、もう一度自由に歩きたいという一心で手術し、リハビリを続け、ついには岩登りの名手と呼ばれるまでになったのです。

 自分が若いころに病気を経験しているので、人に対してとても思いやりがある。「私が歳をとって病気になっても、きっと優しくしてくれるだろう」と思ったことも、結婚を決めた理由の一つでした。

 結婚後、私が山岳会の仲間と一緒に難しい山に登るときも、夫は気持ちよく私を送り出してくれました。それでいて、何かあったときにはすぐ救助に行けるように、さりげなく近くの山に登っているのです。

 一九七五年に女性隊でエベレストを目指したときも、夫は応援してくれました。「エベレストには、まだ女性は登っていない。俺が行くより、君たちが登ったほうが価値がある」と言って、全面的に協力してくれたのです。

 三つになる娘のことが気がかりでしたが、「絶対になんとかするから、行っておいで」と、夫は背中を押してくれました。幸い、同じ沿線に住む私の姉が、夫と娘を下宿させてくれることになったので、私は安心してエベレストを目指すことができたのです。

 ・・・政伸がネギや大根を買いに、子どもをおぶって八百屋に出かけることもしばしばでした。今でこそ、男性が一人でスーパーに行って買い物するのは当たり前になりましたが、四〇年前の日本では、相当な勇気が要ることでした。それでも、政伸は世間体など一切気にしません。「人に迷惑をかけているわけではないのだから、我が家の物差しでやればいい」と、涼しい顔をしています。誰になんと言われようと、どこ吹く風でした。

 ・・・

 今振り返ると、私たち夫婦の間には、言葉には出さなくても通じるものがあったように思います。互いの足を引っ張り合うような結婚はしたくない、「一人ではできなかったことが、二人でならできる」という夫婦でありたい―そんな思いを私たちは共有していました。