田部井淳子さん

それでもわたしは山に登る (文春文庫)

 前半はエベレスト登頂など、極限の状況でどのようにコミュニケーションをとるかという話や、人としての器の大きさに驚く内容で、後半はタイトルの通り、抗ガン剤治療をしながらも山に登る日々の様子が描かれていて、これまた精神力なのか体力なのか、驚かされ、励まされる内容でした。

 文庫版あとがきに書かれていたこの部分が、印象に残りました。

 

P222

 わたし自身あと何年一緒に登れるかはわかりませんが、今出来ることに、全力をつくすのみです。今回も最初の歩きはじめは、わたし自身も一歩一歩がつらかったですね。しかしゆっくり自分のペースで、呼吸を整えれば歩けました。九合目で高山病で「もうダメ、歩けない」という女子高生たちに声をかけ、マッサージをしてあげることも出来ました。・・・

 そして頂上では全高校生が登ってくるのを待ち、班ごとの写真を撮り、大砂走りを遅れることなく下ることが出来ました。登頂したあとの高校生たちの満足げな表情を見るのは、本当にうれしいです。体いっぱいにうれしさを表わし、富士山ではじめて出会った人たちと肩を組み、手をとり合い語り合う姿。・・・病気になっても、こんなに喜んでもらえることが出来たのだと思うとうれしくて、わたし自身も泣きそうになりました。

八月 エベレストに一緒に行った北村節子さんはじめ、同じ山岳会に所属している仲間や、会津のE子さん達と、ピレネー山脈へ出かけました。フランスからスペインに抜け山小屋泊りの山脈は、ほんとうに楽しめました。

 さらにアンドラ公国の最高峰にも登りました。アパートを借りての自炊生活は、シャモニーに続き二度目の貴重な体験でした。

 このピレネー山脈を歩いている時に一瞬、左目の上にキラキラと光るものが数秒続くことがありましたが、これについてはまた新たな本として書くことにしたいと思います。

 気心の知れた仲間とピレネーの山々を歩けたことは、本当にうれしかったですね。

 あと何回出来るか分からないかと思うと、一瞬の時間が宝物のように思えてくるのです。山歩きの後にシャワーをあびる瞬間、仲間と台所でレタスを刻む瞬間、テーブルにお皿を並べる瞬間、ワイングラスを出す瞬間のどの一瞬も貴重でした。

 ・・・

 こうした予定に向かっていくことが、毎日毎日の励みになるのだなあと思います。

 その合間にまだいったことのない山々への旅を企画し、実行する。これがたまらない楽しみの瞬間なのです。万一次の山の準備中にバッタリ倒れたとしても、わたしに悔いは残りません。

 ・・・まだ見ぬ土地や風景へ向かって、ウキウキしながら用意をしている時に、神様から「そろそろ寿命ですから、ボチボチ参りましょうか」となったら、それはそれで受け入れてまいります。それまでは前進あるのみ、の生活を続けたいと思っています。