生きているから味わえる

人生、山あり時々谷あり

 死にかけた経験から、こんな考え方ができるというお話、大変なことほど、あれに比べれば…と思えるのですね。

 

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 私は今までに三度、雪崩で死にかけたことがあります。一度目は、エベレストの第二キャンプでのこと。テントごと雪崩に押し流されて意識を失いましたが、救出されて、どうにか生還することができました。

 二、三度目は、旧ソ連と中国の国境にある天山山脈の最高峰トムールに、外国人として初めて入山したときのことです。標高六二〇〇メートルの地点で雪洞を掘り、一夜を過ごしたのですが、その晩に大雪が降りました。「明日は絶対に雪崩が起こる」と予感したのですが、まさに進むも地獄、戻るも地獄の状態でした。このまま先に進めば、自分たちが動いたことで、雪崩を引き起こしてしまう可能性が高い。かといって、降りて引き返すのはもっと危険です。・・・すでに安全圏まで八分目くらいのところまで来ていたので、上を目指したほうが危険は少ない―そう判断して、私は、隊の他の二人と一緒に、先に進むことにしました。

 ・・・

 ・・・案の定、私たちの動きが引き金となり、雪崩を引き起こしてしまったのです。・・・

 雪崩は凄まじいスピードで斜面を駆け下り、深々と口を開けたクレバスの中に落ちていきます。「ああ、こうやって死んでいくのか」と、私は死を覚悟しました。まさに絶体絶命のピンチでしたが、幸いだったのは、私たちが雪崩の上に乗ったまま斜面を滑り落ちたことでした。・・・雪崩が起こした風に煽られて、私たち三人ははじき飛ばされ、雪の表面に叩きつけられたのです。その直後、雪崩は轟音を上げ、クレバスめがけて落ちていきました。

 まさに九死に一生を得た体験でしたが、あのときの恐怖は今でも忘れられません。・・・あの体験に勝る恐怖は、そうそう味わえるものではありません。後にがんの告知を受けたとき、わりと平静でいられたのも、雪崩の恐怖を味わっていたおかげかもしれません。死に直面した経験が、その後の私の人生を大きく変えたのです。

 頭が痛い、疲れた、体がだるいと感じられるのは「生きている証拠」。生きているからこそ病気にもなれるのです。・・・

 どうせ生きるなら、困ったときこそ明るく生きたほうがいい。トムールで死にかけて以来、何があっても「生きているから味わえるのだ」と思えるようになり、愚痴や不満もあまり言わなくなりました。皮肉なことに、山で遭難したことが、ポジティブシンキングに一層磨きをかける結果となったのです。