かわいい夫

かわいい夫

 山崎ナオコ―ラさんのエッセイ、この本も興味深かったです。

 

P18

 現時点では、大黒柱は私だ。それを夫も私も、恥ずかしいことだと感じていない。現代日本では夫より妻の稼ぎが良い夫婦がたくさんいて、よくプライドの問題が取り沙汰されると聞く。だが、私たちの場合は、夫がそういうところにプライドを持っていないということもあるし、収入差は私の年収が夫の倍とか数倍とかで競うような感じではないので、自分たちの間ではプライドはまったく問題になっていない。

 だが、対外的な場面ではもやもやしてしまう。もちろん普段は家計についておおっぴらにしていないのだが、なんとなく周囲に伝わるのか、友人から、「これから、もっと旦那さんのお給料が上がっていくといいね」と言われることがある。いや、いや、これでいいんです、夫は自分の仕事に誇りを持っているし、経済に関してはうちの場合は私がやりくりします、夫は家計のために働いているのではないのです、と私は心の内で思い、だが、「ははは」と笑うだけで、その場を濁してしまう。

 実は私は、むしろ自慢の気持ちがあったので、がっかりしてしまっている。「奥さん、甲斐性あるねえ。旦那さん、お幸せね」という科白を期待していた私はしょんぼりするのだ。他の人たちの雑談においては、「妻は、収入が低いがかわいい。オレが大黒柱だから大丈夫。妻にはにこにこしていて欲しい」という科白が愚痴ではなくのろけと受け取られるようなのに、私が、「夫は収入は低いがかわいい。私が大黒柱だから大丈夫。夫にはにこにこしていて欲しい」と言うと、私の会話術のなさのせいかもしれないが、愚痴と捉えられ、なぐさめられてしまう。そのあと、「ああ、旦那さんは年下なんですね」と返されることもある。「いいえ、夫は年上です」と首を振る。すると、「はあ」と妙な顔をされる。年上の夫を「かわいい」と表現したのをそぐわないと判断されたのか。しかし、年上の奥さんのことを「かわいい」と表している人はむしろ世間で評価されているようなのになあ、と思ってしまう。

 まあ、自分たちの認識通りに周囲から見てもらえる夫婦など滅多にいない。私たちのような組み合わせは世間において「可哀想な夫婦」に見られがちなんだなあ、とがっかりするが、あきらめるしかない。

 

P44

 結婚式の準備をしている最中に、

「自分の貯金額は四十万円だと思っていたけれど、通帳をよく見たら桁が違っていて、四万円だった」

 と夫から聞いたときは、体中の力が抜け、へなへなと床に座り込んだ。・・・私がひとりで結婚資金のすべてを出すと決めていたし、これからもっと稼いでなんでも払ってやると気張っていたのだが、しかし、四万円を四十万円と思う夫というのは、はたから見たら面白いだろうが、つまりは稼ぐだけでなく人生設計も妻が立てなければならないというわけで、私の責任や負担はかなり重くなる、と感じた。・・・

 ・・・

 夫の方は、なぜか不安を感じないらしく、のほほんと生活している。

 その顔を見ていると、もう、この「のほほん」というのを活用する他はないと考えるようになった。夫は神様のようだ、と前に書いたが、私が思っているのは、ざしきわらしのような神のことだ(とはいえ、ざしきわらしについて私は詳しくないので、もしかするとしれは神ではなく、妖怪のようなものかもしれないが)。

 家にいてくれる、という一点のみで感謝をし、その存在を大事にしていると、だんだんと家が富んでくる、という、ざしきわらしと似たようなことになりはしないか。垂れ眉で垂れ目の夫の顔を見ていると、本当にそういうことになりそうな予感もしてくる。