パーキンソン病がプラスされても、ぼくは依然としてぼくなのだ、というお話。
心に響きました。
サムというのは、息子さんです。
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サムがあれこれくよくよ考えずにぼくの症状を子供らしく前向きに受け入れてくれたことは、ぼくに強い影響を与えた。ぼくはそれまで病気の症状に関連して自分自身を厳しく条件づけていて、病気になったことイコールなにかを失うこと、便利さや自由を奪われることととらえていた。だが、サムの反応を見て、他の考え方もあるのではないかと思いはじめた。・・・サムにとってはぼくはまだ「パパ」―ぴくぴくする手をした「パパ」―なのだった。ものごとをこれと同じように見ることはできないだろうか?つまり、ぼくは依然としてぼくなのだ。ただぼくにパーキンソン病がプラスされただけだ、と。
その春、ぼくは自分が子供だったころのような気持ちになることがよくあった。・・・今日できる可能性を精一杯試していたころのぼくのように。昨日失ったものや、明日来るかもしれない試練のためだけにぼくは存在しているんじゃない。・・・時間が過ぎていくことに脅えたり、不確かな運命のほうに急いで進んでいこうとするようなところが消えはじめた。
「結果を演じることは絶対するな」これは演技の鉄則のひとつだ。演じること自体すべての職業の中でも最も子供っぽいものだと思う。探検ごっこ、「○○の振りをしよう」が、演技の真髄だ。役者にとって結果を演じるとは、登場人物がいまいる、劇中のこの時点にではなく、その登場人物がそのシーンの、あるいはその芝居の最後にどうなるかに集中して演じるということだ。旅や劇的な可能性に満ちた現在のことは―人生でもそうであるように、この時点では将来どうなるかはわからないわけだが―さっさと片付けてしまう、という演技だ。しかし、人生そのものと同じで、どんなセッティングにするか、どんな演技にするかは選択の連続で、そのひとつひとつが次へとつながっていく。どんなに意外であろうと、途中でなにがあろうと―小道具がなくなるとか、共演している役者がどういうわけか脚本から逸脱してしまってアドリブを始めるとか、セットの壁が舞台の上に崩れ落ちてくることさえあるかもしれない―役者はそれを受け入れていかなければならないのだ。・・・
P335
悲しかったが腹は立たなかった。これが避けられないことは何年も前からわかっていたのだ。ぼくはパーキンソン病にかかっている。これは進行性の障害なのだ。予想されていたことが起こっているだけなのだ。それでは、ぼくはいまなにをすればいいのだろうか?・・・答えははっきりしていた。あれだけいろいろなことがあった後で、いろいろ学び、いろんなものを授かった、これからもぼくはこの何年間か毎日やってきたことをやっていくだろう。つまり、ただみんなの前に出て、自分の目の前にあることに最善をつくしてやっていくだけだ。
・・・そしてホテルへと帰る途中で、六年前に酒を飲むのをやめてからほとんど毎日してきたように、お祈りをした。
神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、
自分に変えられることは変える勇気と、
そしてそのちがいがわかるだけの知恵をお与えください。