「脳科学は人格を変えられるか?」にあったマイケル・J・フォックスさんの話から興味を持って、パーキンソン病を公表するにいたるまでの回想録を読みました。
どうしても自分の言葉で自らの思いを伝えたいと、ゴーストライターを雇わず、14か月かかって自分で書いたとのこと。
子ども時代のこと、スターとして暮らすこと、アルコール依存からの脱出など、色々と興味深かったです。
ここは、有名人になったら誰も自分に対して「ノー」と言わなくなった、という状況が書かれていたところです。
P172
・・・うちの子供たちがみんな最初に覚えた言葉は「ノー」だった。・・・「ノー」によってぼくたちは境界を作り、理解していく。だが、「ノー」は限界のことを言っているだけではない。子供に自分だけの独自のアイデンティティや自我を規定する手段を与えることにより、「ノー」という言葉を発することは自治という道への第一歩を踏み出すことになる。
・・・もはやぼくはめったに「ノー」という言葉を聞かなくなった。・・・
・・・「イエス」だけの魔法の王国にぼくは行きついたのだ。だが、どれほど自分の出た映画が大ヒットになろうが、視聴率が上がろうが、まともな人間であれば「ノー」という言葉を予想するときというのがある。たとえば「いや、街中の道路で法定速度の二倍のスピードで走ってはいけない」というように。
これ以上はしてはいけないという境界線がはっきりしない人生とはなんなのか、とぼくが最初に感じはじめたのは、こういうことに出合ったときだった。壁がないということが、すなわち自由を意味するのではないことに、ぼくは徐々に気づきはじめた。壁がないということは、同時に傷つきやすいということをも意味した。しばらく時間がかかったが、ぼくはついにふたつの恐ろしい質問を自分に対して発し、そして答えはじめた。つまり、ぼくはこういうことをしてもらうに値するのか?それから、もし値しないのなら(いったい誰がこんなことに値するというのか?)みんながそのことをみつけだしたらどうなるか?というふたつの質問だ。それで、ぼくはこの長く続いてきた「イエス」の道の先に、嫌らしい、人を侮辱するような、ぼくの出世を妨げるような「ノー」が待っている場合にそなえて、自分を守るために三重の戦略を用意した。
第一に、だれもぼくに対して「ノー」とは言わないのだから、我が身に忍び寄る罪悪感を軽減するために、ぼくもその言葉を自分のボキャブラリーからもほぼ消し去ってしまった。・・・いい人でいて、みんなとうまくやっていこう、というわけだ。
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肝心なことは忙しくしつづけることだった。建設的であろうとなかろうと。当時のぼくの信条―一生懸命働き、たくさん飲み、イエスとだけ言う(そして聞く)―は、いかなる状況にあろうとも、ぼくがいつも忙しくしていられできるだけいろいろ考える時間を持たないでいられることを保証するものだったのだ。おそらくぼくの成功があまりに突然で法外なものだったので、自分はなにかよくないことをまんまとやりおおしているのではないかという気持ちになっていたのだ。・・・