日本語ぽこりぽこり

日本語ぽこりぽこり (小学館文庫 ヒ 6-1)

 アーサー・ビナードさんのエッセイ、面白かったです。

 

P12

 英語と日本語を、ぼくは五分五分くらいに使って生きている(ひょっとしたら日本語の割合のほうが多いか)。

 ・・・

 ・・・英語から、もし日本語もこうだったらなぁと思うところもある。些細なことなのだが、最初に浮かんでくるのは「くしゃみ」。

 ・・・

 ・・・くしゃみが果てたあとのフォロー、相手のハクションへの言語的対応だ。

 英語にはBless youという慣用句があって(God bless youの短縮形)、だれかがくしゃみをしたら、周りの人が必ずいってあげる言葉。

 直訳すれば「神の加護があなたにありますように」になるが、要するに昔々、人々はくしゃみを不吉の前兆、あるいは悪魔が体内に入ってくるスキというふうに捉えたらしく、身を守るために発したマジナイだ。それが段々と、一種の挨拶と化して、今は無神論者でも平気で使う。

 喫茶店で打ち合わせをしていて、相手の大くしゃみで話が途切れたとしても、英語ならこっちが反射的にBless youをいえば、まるでなにもなかったかのように、自然と話がつながって進んでいく。しかし日本語では、そうすんなりとはいかない。大くしゃみの相手に、なにもいわないのもちょっと変だし、「お大事に」では別れの挨拶っぽい。ぼくは「風邪ですか」とその場をごまかすことが多いが、やはりイマイチしっくりこない。「だれかウワサしているのかな」も、大きなお世話だ。

 日本で、人のくしゃみに出くわすたびに、それが気になっていた。そして今年の一月、沖縄へ出かけて沖縄口に触れ、沖縄の人のくしゃみにも出くわして発見した―「クスクェーヒャー」。

 標準語に訳すと「糞食らえ」、くしゃみが出たとき、沖縄口ではこういう。

 ハクションの主をののしっていうのではなく、くしゃみを引き起こさせた魔物に対しての脅かし、風邪を吹き飛ばすためのマジナイなのだ。字面はBless youとずいぶん違って見えるが、発想のもとはいっしょ。

 沖縄土産「クスクェーヒャー」を東京へ持ち帰ってから、気がついた。

「沖縄口で(くしゃみ)のことをなんていうか、きくの忘れちゃった……。そういえば<くさめ>という言い方もあったなぁ……」

 そこで『広辞苑』を引いてみると、「くさめ」の②のところにこうあった。「くしゃみが出たとき唱えるまじないの語。<休息万病>を早口に言ったものという」

 なんだ、「くしゃみ」に音変化する前の「くさめ」という言葉が、もともとはBless youだったのか。でも、どちらかといえば「クスクェーヒャー」のほうが、なんだか味がある。

 

P116

 このあいだの青森行は、直前まで夏目漱石の俳句のことを調べていた。

 夏の季語としてマクワウリが登場する。

 

 吹井戸やぽこりぽこりと真桑瓜

 

 これに初めて出くわしたのは、漱石の句集ではなく、手もとの国語辞典で「マクワウリ」を引いたときで、例文ならぬ例句として載っていた。

 気に入って英訳しようと思い立ち、ただ、一句だけではさびしいので、近所の図書館から『漱石全集』の俳句の巻を借りてきた。

 ・・・

 ・・・すると一五四頁に例のマクワウリが顔を出した。

 

 吹井戸やぼこりぼこりと真桑瓜

 

 あれッ、「ぽ」が「ぼ」になっている!

 

 点々のあるとないとでは大違いハケに毛がありハゲに毛がなし

 

 という狂歌があるが、半濁音と濁音とでは、これまたずいぶん違ってくる。

「ぽこりぽこり」で鑑賞して、ぼくは井戸のふき出る水の中に、マクワウリが一個、軽く上下しながら浮かんでいるのを想像した。ところが「ぼこりぼこり」とあれば、より重く、ちょっと乱暴に、というか不器用に上下している感じになり、複数のマクワウリがぶつかり合っていることも、十分考えられそう。それとも、もしや、水自体が「ぼこぼこぼこりぼこり」と、わいている音なのか?

 ぼくには「ぽ」のほうが、自然な表現に思われてしっくりきたが、作者とこっちとの間に百年分の日本語の移り変わりがある。「ぼこりぼこり」が、今とは微妙に違った振動を、漱石の耳の鼓膜に届けていたのか……。

 

P146

 ある単語の意外な語源を知って驚いたり、知っているつもりの諺のホントの正体に出くわしてビックリしたり、言葉になんらかのショックを受けるということは、だれにでも経験があるだろう。ぼくの場合、生活の中で英語と日本語の間を行き来しているので、その回数がよけい多いかもしれない。

 今までに受けたランゲージ・ショックの数々を、もしリストアップするとなったら、「火鉢」の驚きはきっとトップテンに入るだろう。

 ミシガンで生まれ育って二十二歳になるまでジャパンとまるで縁のなかったぼくにとって「ヒバチ」は、「ウルトラマン」以外にほとんど唯一親しみを感じるジャパニーズだった。

 ジャパニーズといってもhibachiはアメリカで広く使われ、普通のイングリッシュ・ディクショナリーにも載るくらいの、れっきとした英単語だ。

 そして、ミシガンのわが家にあったhibachiはディクショナリーの定義どおりの、典型的なものだった。

 さて二十三歳になる少し手前で来日して、日本語学校に入り、ある秋晴れの日、先生とクラスメートとみなで遠足に出かけた―深川江戸資料館へ。

 ・・・

「米屋さんの家」だったか、居間の畳の上に丸い陶製の、でっかい桶のような、釜のような不可思議なモノが置かれていた。中を覗けば細かい灰がいっぱい、そこにメタルのチョップスティックが差し込んである。

「先生、これは?」と尋ねたら、「ヒバチ」と返ってきた。

 ええッ?そんな!hibachiというのは、野外でバーベキューするためのグリル、つまりコンロで、もっと小さくて、鉄の網をのっけてハンバーガーとかフィッシュとか焼くんだよ。

 ぼくがノートにちょっとした図を描きながらゴッチャの英語と日本語で、先生にそう説明すると、「ああ、それはヒバチじゃなくて、シチリンっていうのよ」といわれた。館内の「長屋」で探し当てて、見てみるとなんと、まさしく「七厘」は、ぼくのいうhibachiそのものだ!

 ・・・

 無類のバーベキュー好きだったうちの父親は、「こいつは炭を食わないからえらいんだ」と、hibachiが気に入り、しょっちゅう使っていた。思えば自宅に一台、それから釣り小屋にも一台あった。専用の小フイゴまで持っていたのだ。

 父が死んだときの年齢を、ぼくはとっくに超えた。もしどこかで、父のゴーストにばったり会ったら、伝えたい話は山ほどたまっている。hibachi-shichirinの話も、ひょっとしてそのトップテンぐらいに入るかもしれない。

 おまけに「日本人はフイゴではなくてウチワを使って煽るのだ」ということと、「ふつうの煮炊きはたった七厘ほどの炭で間に合うところからシチリンの名がついた」ということも付け加えて。