ハッピー

岩田さん: 岩田聡はこんなことを話していた。 (ほぼ日ブックス)

 この辺りも印象に残りました。

 

P78

 わたしは、なるべく、「なぜそうなるのか」がわかりたいんです。そうしていないと気が済まないんです。

 ・・・

 そのために、事実を見たら、つねになぜそうなるのかの仮説を立てるんです。仮説を立てては検証して、とくり返していくうちに、より遠くが見えるようになったり、前には見られなかった角度でものが見られるようになったりするんです。

 これはわたしが糸井重里さんに学んだことなのですが、糸井さんはしばしば未来を見通すようなことをするんですね。糸井さんがいいなと言ったものが流行ったり、売れたりする。わたしは実際にそういう場面に何度も居合わせてきました。

 それで、わたしは糸井さんに「なんでこれが流行ることが半年前にわかったんですか」と何度も質問することになるんです。

 そしたらいつもおっしゃるのは、「ぼくは未来を予言していないよ。世の中が変わりはじめたことに、人よりすこし先に気づいているだけなんだよ」ということでした。

 それを聞いて、わたしは自分がそれをできるようになるにはどうすればいいのかと思ったんですね。それで、仮説を立てては検証するということをくり返してきました。そのおかげで、人がまだ変化を感じていないうちに気づくということに関しては、わたしはあの当時よりもいまのほうがずっとできていると思います。

 また、わたしは、ただしいことよりも、人がよろこんでくれることが好きです。

 自分の価値体系のなかには、「まわりの人がよろこぶ」とか、「まわりの人がしあわせそうな顔をする」とかいうことが、すごく上位にあるんですよ。もう、「そのためなら、なんだってしちゃうよ!」というところがあるんです。

 一方、ただしいことというのは、なかなか扱いが難しい。

 ある人が間違っていることがわかっていたとしても、そのことを、その人が受けとって理解して共感できるように伝えないと、いくらただしくても意味がないわけです。

 ただしいことを言う人は、いっぱいいます。それでいっぱい衝突するわけです。お互い善意だからタチが悪いんですよね。だって善意の自分には後ろめたいことがないんですから。相手を認めることが自分の価値基準の否定になる以上、主張を曲げられなくなるんです。

 そしてそのとき「なぜ相手は自分のメッセージを受けとらないんだろう?」という気持ちは、ただしいことを言う人たちにはないんですね。

 逆にいうと、コミュニケーションが成立しているときって、どちらかが相手の理解と共感を得るために、どこかで上手に妥協をしているはずなんです。

 

P163

 仕様を決めるときに、ほんとうに大事なことは、

 「なにを足すか」じゃなくて、

 「なにを捨てるか」

 「なにをやらないと決めるか」だというのを

 すごく実感しました。

 

 こちらは巻末の「糸井重里が語る岩田さん」から・・・

P200

 思えば岩田さんはずっとそう言い続けてるんだけど、みんながハッピーであることを実現したい人なんですよ。自分がハッピーであること、仲間がハッピーであること、お客さんがハッピーであること。「しあわせにする」とかじゃなくて、「ハッピー」ってカタカナなのがいいね、なんていうことをぼくも言ったかな。そういう気持ちは、ぼくもまったく同じだったから、うれしかったですね、なんだか。

 ああ、つまらないことを憶えているもんだなと思うけど、あの、岩田さんってね、「ハッピー」って言うときに、こうやって両手をパーにするんだよ(笑)。こういうふうに、「ハッピー」って(笑)。そんなこと、忘れないもんだねぇ。