病気を公表するにあたって考えたこと、実際の世間の反応など、印象的でした。
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ついにパーキンソン病にかかってからのことを公表する決意をしてから、ぼくはひとつの目標を頭に描いていた。この七年間、いかにしてこの病気を心豊かで生産的な生活に取りこんできたかを正直に説明する、と。自分の楽観主義や、感謝の気持ち、今後の見通し、それからパーキンソン病を抱えての人生のある面を笑い飛ばせる能力(ぼくはコメディ=悲劇+時間というジョーク・ライターの公式の信奉者なので)までをも伝えることが、ぼくにとっては重要だった。ぼくはこの発表を人生においても、仕事の面でも自分が前に進む方法と見ていて、追い詰められた結果とは考えていなかった。
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ぼくの話が『ピープル』のウェブサイトに載ったとたんに大騒ぎになった。・・・
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この連休の週末のあいだ、まさにぼくのことが一大ニュースになっていることが、まもなくはっきりしてきた。ぼくが病気のことを公表したことが、すべてのネットワーク・ニュースのトップニュースとなり、ケーブル・チャンネルでは一時間ごとに内容が更新され、全米とカナダの大新聞の大見出しになっていた。
コネチカットにこもって、ぼくはテレビと新聞を見ないよう最大限の努力をしていた。発表したことを考えなおしていたという言い方は、控え目すぎるだろう―再考どころか、三考、十考、百考までしたくらいだ。・・・ぼくが最も恐れたのは、悲劇のヒーロー、絶望的な犠牲者というふうに扱われることだった。・・・
しかし、ついに自分で報道の激流の中に足を踏み入れたとき、ぼくは自分がどれだけ状況を誤解していたかを悟った。・・・レポートの大多数の論調は、驚きはしてもぼくのことを尊重し、そして気遣ってくれていた。・・・さらにいいことは、続報の多くがぼくのことよりもパーキンソン病そのものに焦点を当てていることだった。・・・
そういうつもりではなかったのだが、どうやらぼくがパーキンソン病についての国民的議論に火をつけてしまったようだ。・・・
・・・パーキンソン病関係のウェブサイトをサーフィンすることにした。・・・
ある人がこう書きこんでいたのをはっきりと覚えている。「今朝スーパーに行ったら、レジ係の人からどうしてそんなに手が震えているのかと訊かれたの。パーキンソン病なのよ、と言ったら、レジ係の人はすごく興味を示してこう言ったわ。『あら、マイケル・J・フォックスみたいじゃない』って。ここ何年ものあいだで初めて、気まずい思いをせずにすんだわ」
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・・・ここ数日間で初めて、結局はこれでよかったのだという確信に満ちた気持ちになった。病気のニュースをぼくの役者人生の終わりと見る人がいることはたしかだったが、ぼくはもっとずっと深い意味で、これはほんの始まりにすぎない、と感じはじめていた。・・・