言われる側に立つ

プロ野球・二軍の謎 (幻冬舎新書)

こういう姿勢、ほんとすばらしいです…。

P212
 この1年、僕がその世代間のギャップを埋めるためにやってきたのは、まず「指導者側の意見を一致させること」です。船頭が多いと船が山に登ると言われるように、監督・コーチが個々にいいことを言っていたとしても、それぞれのやり方に微妙なズレがあれば、指導される側は戸惑うばかりです。「誰の言うことでも適当に聞いておけばいいや」と、要領よく対応できる選手ばかりではなく、助言を素直に聞く真面目な人間が多いのが我がチーム。どうにかしてすべての指導を取り入れようとして混乱し、成績を落としてしまいかねません。
 教える側がまず、同じ方向を向いていること。指導方針や方法をすり合わせて一致させること。各選手の性格を分析し、選手個々の性格に応じた教え方を心がけること。これが、教わる側を戸惑わせないための最低限のルールだと思っています。・・・
 続いて心がけているのは、理論的な説明です。試合中は感情だけで「バーンといっとけ!」などと言ってしまうこともあるでしょうが、それだけに冷静にモノが考えられる練習中は、いかに理路整然と説明をして、選手を納得させていくかが大事なように思いました。「それくらいわかるやろう」という言いっぱなしではなく、「どうやったら理解してもらえるか」という歩み寄りは絶対条件です。
 さらに大切だったのは、相手が本当に理解しているかどうかの確認です。とにかくその場を切り抜けるために、心底わかっていなくても、わかった顔をする選手もいるからです。これには、「その場から逃れたい」という意識ではなく、「せっかく教えてもらっているのに理解できないことが申し訳ない」という優しい気持ちがあるのです。これこそがいまの若い世代の優しさの表れでもあり、「いまのわかんないっす。もう1回言ってくださいよー」とは絶対ならない、図々しさが足りない部分でもあります。だからこそ、彼らが本当に理解しているかどうかを確認することまでが、指導の一環なのだと感じました。わからないのは、決して恥ずかしいことでも、情けないことでもない。教える側にも、「わからせるという努力」が必要で、互いに歩み寄ることが求められます。そこではじめて次に進めるのですから、時間はかかります。
 なぜそこまでしてやらねばならぬのかと、理不尽世代を生きた人は考えがちですが、自分たちが受けてきた指導法がそのまま通用するはずという思い込みを捨てなければ、時代に適応できないことは明らかです。
 こうして書いていることすべてができているならば、僕はたいそうすごい指導者になれるのかもしれませんが、残念ながらこの1割も達成できていないのが現状です。しかし、少なくとも志を持って、大切な選手を託してくれた球団のためにも、歓喜の瞬間を待ち望んでいるファンのためにも、方向だけは見失うまいと思うばかりです。

ところで明日、明後日は福井の園さんのところで
「心を開いて愛の源につながる」http://www.aqu-aca.com/seminar/openyourheart/
「本質に気づく、目覚めのコース」http://www.aqu-aca.com/seminar/towakeup/
を開催します。
実は福井県に行くの、生まれて初めてで、とても楽しみです(^^♪
という訳で、週末はブログお休みします。
いつも見てくださってありがとうございます。