ふむふむ、そうですね。
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さて、「悟りを得たい」「見性体験をしたい」と思って坐禅を組む人も多いのですが、まず、この「悟り」という言葉がくせものです。
「悟り」を目的思考でとらえると、「悟らなければ」と思い、「自分はまだ悟っていない。自分はまだまだだ」という意識を生み出します。
それはあるがままの真理を体感する道とはまったく逆です。
なにしろ、「あるがまま」なんですから―。
何か特別なことを求めたり、得たりしようとする心の働きを止め、あるがままの自分にくつろぎ、最高にリラックスした状態が「禅定」です。
ちょうど、宇宙の大生命の大海に身も心もゆだねて、背泳ぎで青空を見ながらプカプカ浮いているようなもの。
泳ぎのコツは、「浮かぼう」と意識して力むのをやめ、身も心もスーッと投げ出し、あずけることです。
坐禅も同じです。これは、「身心脱落」「一切放下」といった表現や、坐禅をするにあたって師から「無に成りきってこい、死にきってこい」と言われる言葉に表れています。
ところで「本質に気づく、目覚めのコース」では、このような宇宙に身も心もゆだねるような状態を体験します。
とても気持ちいいです。
ちょっと先ですが、次は6月20日、めずらしく水曜日に開催予定です。
夏至の頃に、こういう内容のセミナーをしたら、心身の健康にいいのではないかな〜と思って予定してみました。
よかったらどうぞ、ご参加ください(*^_^*)
お申し込みはこちらです→ https://www.aqu-aca.com/seminar/towakeup/