驚天動地

驚天動地 クォンタムが解きあかす「世界の秘密」

この本、たしか1年前に読み始めて…難しくて途中で止まってたのでした(笑)
フムフムとわかるところと、へー……というところとありましたが(^_^;)、おもしろかったのは、量子物理学の博士が説明するとそうなるのかと知れたこと。
スターラインズ2で聞いたレクチャーが、そういう意味だったのね〜と今頃わかったところもあったりしました。
またメモしておきたいと思います。

P41
 つまり、ハイゼンベルクは、「波の状態の<可能性領域>で、(意識が)あるモノや出来事を認識すると、<可能性>であったそのモノや出来事は、<可能性領域>から物理世界へと立ち上がり、リアルに出現する」ということを言ったのです。
 では、その認識をもたらしてくれるもの("乗り物"ビークル)は何か。
 語源学的に言うと、「consciousness(意識)」という言葉の語源は、「何かと共に知る、to know with」という意味です。ですから、意識というのはひとつの"乗り物"であって、私たちは「意識と共に認識することができる」と言えます。
 つまり、ハイゼンベルクが言ったのは、「<可能性領域>から現実への変化は、私たちの意識における変化なのだ」ということです。・・・
 ここで思い出されるのが、「あなたが生まれる前、あなたの名前は何でしたか」という禅の公案です。
 つまり、"わたし"という認識(エゴ)が発生する前、私たちは相互に関連し合っている、とても大きな「存在の土台」だったのです。それは私たちみんなが共有している無意識です。

P46
 仏教では、「<可能性領域>の意識」から「現実世界」が立ち上がってくる、このふたつの関係性を「縁起」という言い方をします。

P62
「私は"たったひとつの意識"。でも、私はそのままでは何も経験できない。
 私が現実世界を経験できるのは、経験のための分離をつくり、脳と自分を同一視して、それ以外の世界の部分は、自分とは切り離されたものと見るから。
 でも、私が同一視している、経験の主体である脳から見ると、脳と私は分離された別々のもの。
 それでも、それらすべてを経験している私は"たったひとつの意識"」
「意識」と「現実世界」の関係には、堂々巡りして、そこから外に出られなくなるような文脈、<循環する階層>が存在している、と言うことができます。

P68
 ・・・ということは、生命というのは、<可能性領域>と<物理的世界>をつなぐものとも考えられますね。

P76
 私たちは<可能性領域>を出たり入ったりしています。そして、つくり出している現実が自分たちの予測するものとあまりにも近いところにあるので、あたかも固定されたリアルなものであるかのように見えています。
 この連続性、ものごとが連続しているように見えるのは、私たちの「予測の産物」です。