大作過ぎて読破できていませんが・・・読んだ部分から印象に残ったところを書きとめておきたいと思います(;^_^A
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馬場 前回のテストを今度読み返してみて、特徴的だと思ったのは、ある1つの世界を、谷川さんは非常にきれいにしておきたいと言うか、結論としてはいいものだということにまとめておきたいという傾向がとても強いんですね。にもかかわらず、よく見てみると、ちょっと変なものが見えてきてしまう。でも、それは結局はいいんだというふうにもっていく。そういうふうに、まるく収めておく傾向が非常に強いんですね。そうしようとするものだから、なおさら細かいところに、気になるものがチラチラ見えてきてしまう。・・・そういう、非常にピリピリとした緊張感のある均衡を保っているというのが特徴的だと思ったわけです。
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・・・その点が今回は非常に変わっているんですね。
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もうそんなに美しくまとめたりしない。汚いものは汚い、嫌いなものは嫌いだと、そのままはっきり見るというあたりが、非常にスッキリ、こんどは出ているわけなんですよ。その辺はとても感動しましたけれども。
谷川 どうしてこうよく当たっちゃうんだろうなあ。・・・
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馬場 ・・・前には隠されているから、それだけにかえって奥のほうで何かあるなとか、見まいとしても見えてきちゃうとか、そういうあり方があって、そのことから推測しますと、何か潜在的な被害感とか、対人過敏のようなものがあったんじゃないでしょうか。それが今はもうなくなったんじゃないかしら。そういう意味ではナーヴァスでなくなったと思いますね。
谷川 ものすごくよく腑に落ちるね、困っちゃうくらい(笑)。
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・・・ぼくは主として女房との関係および自分の今の、父と母と伯母、年寄りたちとの関係で変わったんだなというのが、まず最初の反応ですね。・・・そういう他者というものを前よりもはっきりと意識して、そういう自分と異質のものをどういうふうに受け入れるかっていうことを自分なりに、特にここ6、7年は相当突き詰めた状態で考えてきたということですよね。だから前は見まいとしていたものを、今は見ることができるようになっていると言われると、非常にうれしいわけ。やっぱりそこまでちゃんと行っているか、みたいなさ。
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ここまで生き延びてきたみたいな感じはあるね。
馬場 相当に苦しかったんじゃないかなというね。
谷川 そういうことがよくわかるんだなあ、いつもびっくりしちゃうんだけれど。面白いね。
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・・・前は自分の中の、自分では整理しがたいものをできるだけ抑制しようとしてたんだけれど、今は自分にとって整理できないものもわりあい平気で出せるようになってきた、というふうに思ってもいいのかしら。
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つまり、なんか一種の、男性としての責任感と言えばいいのかな。自分の家族を、ある程度、責任をもって引っ張っていかなきゃいけない、そのためにはあらゆることを辞さないというふうな、一種の覚悟みたいなものが日常生活の上であるわけね。そういうものがもしかすると出てきているのかなっていう気はするんだけれど。
馬場 ねばならないと言うよりも、もうちょっと肯定的なんじゃないでしょうか。・・・
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谷川 ・・・これはぼくがテストのあとでロールシャッハのことを少し読んだから、そういう知識がちょっと入ってきちゃうんだけれど、つまり「ストレスが強いときには、全体よりも部分に反応する」って書いてあったわけね。それはとっても腑に落ちた。
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・・・あんなちっちゃなものに、おれはそんなにこだわるはずないのに、なんかこだわっているな、と。でも実際には、そういう細かいところをこうやって見ているほうが、ずっと楽なんですよね。全体を見ようとすると、あまり矛盾なく総合的に隅々まで見なきゃいけない、何かの形に見えなきゃいけないっていう、一種の強迫観念みたいなのが出てきたということは言えると思うんですけれどね。
馬場 それが全部細かいんじゃなくて、はじめのうちは大きいところが出てくるんです。それで大きいところを2つ3つ見て、それから細かいところが出てくる。・・・
・・・そんなにいつまでもいろんなものを見てたくさん出さなくたっていいわけでしょう。・・・そこで細かいところに行って、ずーっといくつか見つけ出していらっしゃる。そのプロセスはどういう体験なのかな、それとも何か手がかりを探しているというような感じかしら、とかね。そこまでやってしまわないと充実感が出てこないというような気持ち……。
谷川 それが一番近いんじゃないかな。
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それはやはり、大岡(信)も言ってたけれど、詩をつくるプロセスに似ているっていうこと。・・・たとえば、いわゆる平凡反応っていうのがあるでしょ、コウモリだとか。そういうものを、自分ではっきり見てても、それはもう自明の理というか、クリシェと言うか、言わなくてもいいんだっていうふうに思ったところがあるんですね。
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・・・なんか自分で1枚ずつについて、ある作品をつくるっていうふうな意識がどこかで働いてて、だから、あるところまで言わないと終われないって言えばいいのかな。・・・ある程度自分が納得するまで喋っていたいって気持ちは強かったんですよね。それが、しんどいっていう気持ちを中途から圧倒していった感じです。
P299
谷川 ・・・20年前に考えられていたテーマに関しては、何かまとまったものをお書きになってるんですか?
馬場 ええ、それはある程度。小さい論文ですけど、「適応性と創造性」というのと、この「ある種の社会適応者」、これはちょっと別の観点からですけれど。
谷川 はーあ、「ある種の社会適応者」というのは、どういう意味なんですか。
馬場 一見適応していて、その適応のしかたが特殊であるという、そういうジャンルの中の一部に含めたわけです。
谷川 何か非常に皮肉なと言えばいいか、不思議な言い方ですね(笑)。詩人ていうのは税務署なんかへ行くと不良業種というふうに分類されたりするけれども、心理学のほうでは「ある種の社会適応者」というふうに分類できるわけか。
馬場 わたくしはちょっと試みに。
谷川 ケッサクだね(笑)。
馬場 これ(「適応性と創造性」)は、ある精神分析の雑誌にずっとシリーズで載せていたものの一部なんですけども。適応性と創造性というのは、必ずしも一致しない、ということは適応性というのがまた大して絶対的な価値ではないということを、むしろ逆に言いたいんですけどね、そうでない価値もあるんじゃないかと。まあ健康で適応的というのが精神医学の価値観ですね。必ずしもそうではないんではないか、と考えていたんですが、でも今度の対談シリーズと以前の資料とを総合して見直すと、この創造性と適応性というのはかなりよく一致してくるんです。
谷川 そういう場合に、たとえば適応すべき社会というのは時々刻々と移り変わってるわけですね。そういうつまり、われわれから見ていると、たとえば、今の日本なら日本の社会に過度に適応してる人間というのは、むしろちょっとおかしいんじゃないかと思うことがありますよね。・・・
馬場 ・・・だから正確な意味では適応というのは、ただ、あるものに自分を合わせていくということじゃなくて、その中で自分がよりよく発揮できるように環境もつくり変えていくという、そういうアクションができるということも、その適応性があるということに含めて考える。
谷川 なるほど、ただ受容的じゃなくて積極的に関与するということ。
馬場 そうですね。だから社会批評とか社会運動的に変えるとかいうことじゃなくて、もっと個人的な意味で変える能力ということですね。
