こんな人生もあるのだなと驚きました。
P26
障害者に関して、小倉が関心をもっていたのは経済的な自立だった。一般的に共同作業所で働く障害者の月給はおよそ一万円だった。・・・
・・・
・・・障害者の雇用を巡る実状に小倉は驚いた。・・・小倉は障害者に対して自分も貢献できるものがあると申し出た。共同作業所における「経営」だった。
<そこで私は考えました。自分は福祉のことは何も知らない。けれども「経営」ならばプロである。四二年間ヤマト運輸の経営で苦労してきたし、宅急便という新業態をゼロから開発し事業化した経験もある。こうした経験を共同作業所の運営当事者の方たちにお話しして、「経営」の重要さを学んでもらい、少しでも多くの賃金を作業所で働く障害者に払えるような仕組みをつくるのに役立ててもらえるようにしよう―。>・・・
・・・
翌一九九六年、小倉と藤井の二人は「パワーアップセミナー」という無料の講演会(経営セミナー)を立ち上げ、藤井と小倉で全国を行脚していく活動を開始した。・・・
・・・
「・・・二泊も一緒にいると人間関係もさまざまな理解も相当深まる。パワーアップセミナーには小倉さんはすべて予定どおりにフルで参加し、夜は夜で参加者と車座で酒も飲んだ。あれだけの人がそこまでするのかと、つくづくその飾らない人間性に感じ入りました」
・・・
・・・やや異なる印象があったのが、精神科の病院を訪問したときのことだった。・・・
・・・
「精神病院に入院して二十年も三十年も出ていない人がいる。そういう人を見て、小倉さんはうろたえるというか、尋常ではない驚き方をしていた。また、院内を案内する担当者に、非常に熱心に患者や病気のことを尋ねていた。ほかの作業所も多数回りましたが、そこでの関心のもち方は……なにか特別な感じでした。そういう小倉さんに横で接していて、なんとなく彼の身内に精神病院に入院した人がいるのかなと思ったぐらいです」
P68
幡代尋常小学校、東高、東大と長きにわたって同級生だった藤岡眞佐夫は・・・
・・・
・・・しばし記憶をいくつか確認するように時間を置いた。そして、そう、彼はわりと家庭では不遇だったんです、と話を継いだ。
「振り返って考えると、かれには気の毒なことがたくさんあったんですね。若い頃は恋愛問題でつらい別れがありました。結核にかかって死にそうになったこともある。もっと幼いときにはじつのお母さんが早くに亡くなっていて、その後、再婚したお母さんもすぐに亡くなった。そして、大人になってからは奥さんが早くに亡くなられたでしょう。その後、奥さんのお母さんと一緒に住んでいたけど、そのお母さんも亡くなった。そして、たしかお嬢さんのことでもご苦労された」
・・・
そう藤岡が語るのを聞いた時点では、まだその指摘の重要さには気づいていなかった。
P95
ヤマトが宅急便事業を開拓し、・・・
・・・好循環をつくりだした根源は、小倉が事業開始時に掲げた「サービスが先、収益は後(のちに「利益」に修正)」というスローガンだった。小倉はことあるごとに社内でも、視察先の営業所でも「サービスが先、収益は後」と口酸っぱく言い続けた。
「どんなにすぐれた事業でも使われなければ利用者に実感されない。その初めて使われた際、サービスが悪いと二度と使われなくなる。けれども、『翌日配達』というのでおそるおそる出してみたら、本当に翌日届いたと連絡があった。先方は喜んでいた。そういうことを経験すると、また使ってみようかという気持ちになる。だから、何があっても『サービスが先、収益が後』なのは間違いないことなんです」
・・・
結果から言えば、・・・同業他社には営業で勝利し、行政訴訟まで含めた霞が関との闘いにも勝ち、社内にあっても資金調達で転換社債の導入や「クール宅急便」や「スキー宅急便」などの新事業開発で勝利を収めていった。・・・
だが、この期間、小倉はもう一つ大変な闘いを抱えていた。そして、そちらでは小倉は勝った例がなかった。
戦場となっていたのは家庭だった。
後年、小倉は玲子と同じカトリックへ改宗した。
・・・
当時カトリック麻布教会の司祭だった小林敬三は、当時の小倉のことはよく覚えていた。あれほど熱心に通っていた人は珍しかったからです―。
「カトリックに改宗する場合、洗礼の前に一~二年ぐらいかかります。カトリックの教義を勉強し、週一回くらい礼拝に通うのが一般的です。ところが、小倉さんは二年ほど毎日来られた。毎朝七時に奥さんの玲子さんと一緒に教会に来て、熱心に祈りを捧げる。当時、宅急便は全国に展開されている最中で、本当に忙しかったはずです。にもかかわらず、異例な熱心さで通われていた。それだけ何か苦しいことがあったのだと思います。だから、非常に強く印象に残っています」
・・・
朝の礼拝で小倉の祈りは決まっていた。今日も一日、悪いことをしませんように―。そう祈っていたことは関係者の多くが聞いている。
P104
実際のところ、小倉の実務としての闘いは、他社というよりも自社にあった。そもそも宅急便を導入するときにも、役員のほとんどは反対だったと元秘書の岡本和宏が振り返る。
「宅急便をはじめる一九七六年の春ほど会社が暗かったときはありません。私もこの会社はもう潰れるだろうと思っていました。重役たちも疑心暗鬼でブツブツ言っていたし、小倉さんの遠い血縁でメインバンクの富士銀行から来ていた人も、懸念していた。完全に小倉さんは四面楚歌でした。唯一小倉さんが頼りにしていたのが、組合連中でした。当時労組委員長だった粟飯原誠さんや副委員長だった伊野武幸さんがリーダーシップをとって不安や不満がある社員を抑えてくれた。その協力と信頼がなければ、宅急便はうまくいったかどうか……。だから、小倉さんにとって、組合の人間は本当に大事だったんです」
・・・
「小倉さんは、はっぱをかけるようなことはしない人でした。むしろ現場のセールスドライバーと会って、直接話を聞く。そこで問題や改善点などを発見していく。一方で、地方の支店長など管理職には厳しく、ちゃんと仕事ができていないとか、わかっていないような人には、まともに口もきかない。何かを尋ねられても黙って答えず、本人に考えさせるようにする。そのせいで、管理職はみんな小倉さんを恐れていました」
P261
・・・真理は母と祖母の関係にも思いを馳せた。よく考えると、じつは小倉家でもっとも大きい存在感だったのは祖母だったと真理は語った。
「祖母は明治生まれで、頭のいい、はきはきした気丈な人でした。自分に自信があり、頑固で、自分の意見を曲げない人でした。そういう祖母がずっと母を押さえつけていたんです。母は賢いいい子で育てられて、祖父母が敷いたレールの上を歩いてきた。結婚してからも、家の食事までずっと祖母が仕切っていて、これを食べたらいい、これはダメとやってきた。なのに、母は私みたいに逆らうようなことがなかった。要するに、母は上は祖母に縛りつけられ、下は子どもの私が言うことを聞かずに暴れ、と板挟みにあっていた。もっと自由にすれば違っていたのに、といまは思いますね」
こうして話をしてきて、ようやく小倉が抱えていたものの総体がおぼろげに見えてきたように思えた。
真理の幼い頃からのトラブルにしても、玲子の患っていた病気にしても、どちらにも精神的な問題が存在していた。病名やその程度に差異はあっても、精神障害や精神疾患が二人に関係しており、小倉はその苦悩をずっと抱えていた。
・・・
こうした事情を把握したうえで福祉財団のことを考えると、財団は「なんとなく」設立されたわけではなく、明らかに小倉にはある種の意図があったように思えた。
・・・
・・・小倉の心のもっとも底に流れていたのは、真理や玲子が患った心の苦難に対する思いではなかったか。長く苦しんできた二人の家族に対して、力になれなかったという思いがあり、ある意味では贖罪のようなその思いが数十億円もの私財を投じる最初の原石だったのではなかっただろうか。
・・・
これまで多くのメディアが小倉を語ってきた。曰く、宅急便の父、曰く、行政の規制と闘った闘士、曰く、障害者福祉に私財を捧げた篤志家……。どれも間違いではなかったが、それらですべてが表現されているわけでもなかった。
長い取材を振り返ったとき、そのほかにもう一つ、現代を先取りする問題に小倉は向き合っていたことに気づいた。精神の病という問題である。
うつ病が社会問題となって知られるようになったのは、九〇年代後半から二〇〇〇年代に入ってのことである。・・・
・・・それ以前は、うつや精神疾患はさほど一般的ではなく、周囲に隠すのがつねだった。・・・そんな時代に、小倉は妻と娘の病を抱え、対峙していた。・・・
P286
二〇一五年六月三十日、小倉昌男の没後十年の日だった。
・・・元秘書の岡本和宏など九人ほどが集まった。取材でお世話になった人に礼を言いつつ、地下ホールに降りた。
・・・今回筆者が行った取材がどんなもので、どんなことを書いたのかを墓参者たちに説明した。当初は手短に話すつもりだったが、促されるうち、結果的にはそのまま立ち話で四十分近く話し込むことになってしまった。というのも、生前小倉が親しくしていた人でも、今回核心に触れた部分を話してみると、ほとんど知らなかったためだ。
話の途中で、岡本と伊野は何度か同じ感慨を漏らした。
「そうか……。僕はずっと真理ちゃんのことを誤解していたわけだ……。それは申し訳ないことをしちゃったなあ」
「いやあ、そういう事情があるとは知らなかった。だから、つい『わがまま』といった感じに捉えてしまってたんだね。悪いことをしてしまったなあ……」
そんな感想を聞くたびに、それは、しかし、どうしようもないことだったと、こちらも言わねばならなかった。・・・
ただ、墓参者にとって、こちらの報告は後悔を誘うばかりではなかった。精神障害の苦難の話に続けて、真理がその障害をようやく克服した様子も伝えた。
話しはじめた当初、墓参者ははじめて知る事実に驚きつつ、「いまの真理さんは大丈夫なんですか」と心配そうに質問してきた。実際に会った経験として、それはまったく心配に及びませんと答えた。取材に際しては機微に触れる厳しい話題もあったが、真理はどんな話でも激することなく、和やかに話をしていた。正直な感想として、それまでの過去の話がにわかには信じられないほどだった。
そんな雑感を伝えると、墓参の九人は顔を見合わせて喜んだ。
岡本は笑みを浮かべながら、その報告が今日一番の手向けでしょうと語った。
