フルーツにまつわるいろんな文章、こちらは、あんまりおいしそうじゃない話でしたが(笑)、伊藤比呂美さんの文章って印象に残るなあと・・・
P95
この夏はスイカを食べずに過ぎにけり。 伊藤比呂美
すっかり秋です。蝉は死に絶え、雲も落ち着き、まだ暑い日はあるけど、数ヵ月前みたいな、てんぷらに揚げられている最中というような苦しみはなくなり、人心地ついたところで、はて、今年の夏はスイカを食べなかったと思い出した。
去年は食べた。食べまくった。夏だけで一生分のスイカを食べた。
うちのほう(カリフォルニアですが)のスイカは、いわゆる緑と黒のスイカ柄ではなく、まん丸というよりなんとなく丸く、そして細長く、果肉はぼやけたような薄赤色で、種もないが甘くもない。スイカというより、かぎりなくキュウリに近い味なのである。
日本のカットスイカには、糖度十二度や十三度の表示がついておる。あんな表示をアメリカのスイカにしたら、せいぜい二度とか三度とかだから、表示なんかしないほうがいいに違いない。いや、スイカに限らず、果物の存在自体が、日本とアメリカではまるっきり違う。
日本の果物は、果物というより工芸品だ。サクランボやビワが箱のなかでぴーっとならんでいるようすは、いつ見ても感嘆する。大きなリンゴやナシやモモがひとつひとつネットにくるまれて保護されているのを見ても、感嘆する。
お値段を見ても、感嘆する。うちのほうじゃメロンの底値は、三個で一ドル、グレープフルーツの底値は、七個で一ドル。あとは量り売りだからわからないが推して知るべし。スイカは一抱えもある巨大なのが、二~三ドルで買える。
工芸品じゃなくて果物だから、アメリカの果物は木からもぎ取ったものの味がするかといえば、まったくしない。大きな工場で作られて配送されてきたものの味がする。どれも堅くて、熟れてなくて、熟れてないから苦くてすっぱくて、かじり取ることさえできなくて、それで、買ってきて置いといて熟れるのを待つのである。ところが、いつ熟れるのかわからない。熟れたってちっとも甘くならないこともある。というか、そのほうが多い。スイカもまたそのとおり。切ってみたら、糖度が一度や二度でも、まあこんなものかと思うばかりだ。
とりあえず水分補給にはいい。果物というだけでつめたいから、からだのほてりを取るのにもいい。言い換えれば、からだを冷やすためにはとってもいい。ああやっと本題に入ってきた。
あたしは、もともと果物はあんまり食べない。からだが冷えるのがいやなのである。とくにここ数年、朝の起き抜けに冷蔵庫から出したてのヨーグルトなんかを食べたりすると、からだが芯からつめたーくなり、冬眠前の変温動物みたいになっちゃって、動くこともできなくなってしまうので、ほとんど食べなくなった。
起き抜けの牛乳も、牛乳をかけた朝のシリアルも、それから果物も、同じ理由で食べなくなって何年も経つ。午後になれば、からだはじゅうぶん動いて温まっているから、食べられる。でもほんの少し。でないとまたからだがつめたーくなって、変温動物が冬眠するときみたいになって、動けなくなるのであった。
ところが去年、シーズンのはじめに、何の気なしにスイカを食べた。そしたらからだがすうっと冷えた。一昨年までは苦痛だったそれが、なんと爽快に感じた。ここ数年、つねに暑くてたまらなかった。何年もの間、あたしはずっとほてりっ放しだった。何をしてもおさまらなかった。いつほてり出すかもわからなかった。そして汗だくの汗みどろになった。あたしの汗は体育会系の部室のようなニオイがする。いつも汗臭かった。それが、たった一片のスイカのために、一気に芯からうち冷まされ、あたしはいきなり霧が晴れて視界が広がったような気がしたのである。
つまりあたしにとって、更年期の冷えと同じくらい大きな問題が、更年期のほてり、俗にいうホットフラッシュだったわけだ。
スイカ。
去年はそれが、ほてるあたしを、内面からうち冷ます唯一の手段であった。
食べた食べた食べた食べた。
三日にあけずスイカを買った。デザートはいつもスイカだった。そのうち家族どもは飽きて食べなくなったから、あたしはひとりでスイカを食べつづけた。その果肉は、もしかしたらエストロゲン配合なんじゃないかと思われるほど、つーんつーんとからだの奥底に呼応して、あたしのほてりをうち冷ました。
それなのに、スイカ、今年は食べなかった。食べずにすんだ。食べたいとも、食べねばならぬとも思わなかった。ホルモン補充療法の効果かもしれない。閉経が終わったせいかもしれない。とにかくあたしは、ほてらなくなっていたのである。
